病に臥している人のために

九月三日 病に臥している人のために(二〇一四年 ひとしずく一四六八) ある病んでいる人のために、イエス様がお語りになられたいことがあるに違いないと思い、主に尋ねて、メッセージを頂きました。他に試練を通過している方にとっても役立てばと思います。お祈りしています。 (イエス様から)...

感謝

九月二日 感謝 (二〇一四年 ひとしずく一五二九) イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 そして、ある村にはいられると、十人の重い皮膚病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。...

祈りの友

七月十八日 祈りの友 (二〇一二年七月 ひとしずく八九〇)  昨日、バイブルクラスの後に、お互い祈りのリクエストを出し合い、祈りを必要としている人達や状況のために、皆が心を合わせて、必死になって祈りました。  涙を流して、お祈りする兄弟や姉妹に、祈りに加わっている自分自身が強められ、慰められ励ましを頂きました。 時々、自分の困難な状況のために、自分では、もうこれ以上祈れないと思う心境になる時があります。倦み疲れというのもあるのかもしれませんが、困難な状況の打破のために祈るには、力があまり入らない時があるのです。...

科学者は祈りますか?

七月四日 科学者は祈りますか? (二〇一二年七月 ひとしずく八六四)  宗教と科学とは一見全く対照的なもののように思えます。しかし、科学者にもクリスチャンはたくさんいますし、クリスチャンでなくても、何らかの霊の存在を認めている科学者も多いようです。最近読んだ記事に、次のような興味深いものがありました。 一九三六年一月、フィリスという女の子が、彼女の日曜学校のクラスを代表して、アルバー ト・アインシュタイン博士に「科学者は祈りますか?」という質問をし、アインシュタインがその質問に答えている手紙のやりとりです。...

真の友

六月二日 真の友 (二〇一四年 ひとしずく一五六一)  以前、「痛みが自分の友となりました」と言って、何十年間、障害を抱え、その上 三・一一の被災にも遭った方のことを紹介しました。その方は、痛みが昼夜を問わずいつもあるために、夜もぐっすり眠ることができません。彼が、痛みを友と呼んでいたのは、その痛みから解放されることをあきらめて、痛みを抱えて毎日を過ごすことを受け入れたためであったと思います。...