科学者は祈りますか?

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2023年7月4日

七月四日 科学者は祈りますか? (二〇一二年七月 ひとしずく八六四)

 宗教と科学とは一見全く対照的なもののように思えます。しかし、科学者にもクリスチャンはたくさんいますし、クリスチャンでなくても、何らかの霊の存在を認めている科学者も多いようです。最近読んだ記事に、次のような興味深いものがありました。

一九三六年一月、フィリスという女の子が、彼女の日曜学校のクラスを代表して、アルバー ト・アインシュタイン博士に「科学者は祈りますか?」という質問をし、アインシュタインがその質問に答えている手紙のやりとりです。

「科学者は祈りますか?」

アインシュタイン様 

私の日曜学校のクラスで「科学者は祈るのか?」という質問を持ち出しました。科学と宗教の両方を信じることはできるのかということから生まれた質問です。

答えを求めて科学者や重要な人に手紙を出しています。

科学者は祈りますか? そして何のために祈りますか? 質問に答えて下さればとても光栄です。エリー先生の6年生のクラスです。よろしくお願いします。

フィリスより

リバーサイド教会

一九三六年一月十九日

フィリスさん、

できるだけわかりやすい返事になるように努めます。これが私の答えです。

科学者は、人間に関する事も含むあらゆる事柄は、自然の法則に従って起こるのだと信じています。 したがって、科学者は物事の成り行きが、祈り、すなわち超自然的な意志によって影響されるなどとは、信じない傾向にあると言えるでしょう。

しかしながら、こうして作用している力に関してのわれわれの知識は不完全なため、結局は、最終的で究極的な目に見えない力の存在に関しての予測は、信仰に依存していると言わざるを得ないでしょう。 そのような信じる姿勢は最近の科学の達成においても、広く見受けられるものです。

しかしまた、科学の追求に真剣に関わっている人は皆、宇宙の法則の中には、人の霊よりはるかに優れた何らかの霊の存在を確信するようになります。 このように科学の追求はある特種な宗教的感覚へと導きますが、しかしそれは、普通で言われている信心深さとは、確かに全く異なるものです。

 心から敬意を込めて、

アインシュタインより

 一九三六年一月二四日

意外にも、科学の追求に真剣に関わっている人ほど、謙遜に目に見えない霊の存在を信じているようです。万有引力の法則を発見した科学者、ニュートンも熱心なクリスチャンでした。アインシュタインがクリスチャンであったかどうかは定かではありませんが、ユダヤ教やキリスト教の影響を受けてきたことは、彼の次の言葉からも確かなようです。

「イエスはあまりにも大きな人物で、いかに技巧を凝らしても、美辞麗句を並べる作家は太刀打ちできない。キリスト教を名文句で片付けることは誰にもできない。 福音書を読めば、イエスが現実にそこにいると感じずにはいられない。どの言葉にもイエスの人格が息づいている。神話には、そのような生命に満ちあふれた力がない。」

「宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である。」

  「私の人生の目的は、神のパズルを解くことだ。」

アイザック・ニュートン(イギリス人科学者、重力と運動の法則を考案した。一六四二~一七二七年。 ニュートンの科学における偉業は非常によく知られているが、彼が星よりも聖書を研究することにより多くの時間を費やしたということは、あまり知られていない。)

「聖書の中には、如何なる世俗の歴史におけるよりも、確実性のあるより確かな証拠がある。私が発見したものは、すべての祈りに対 する答えであった。私は、望遠鏡を使って宇宙空間を何百マイルも深く見つめることができるが、地上のすべての望遠鏡の助けを借りる時よりも、自分の部屋に行って祈る時の方が、より神と天国に近くなることができる。」

 ウィリアム・ハーシェル(ドイツ生まれの天文学者、天王星を発見した。一七三八~一八二二年) 

 「人類のあらゆる発見は、聖書に収められている真理を、いよいよ強く証拠だてる目的でなされているにすぎないように思われる。」

 ジェームズ・シンプトン(産科学の開拓者であり、クロロフォルムを発見したスコットランド人、一八一一~一八七〇年。 大きな公の集会において彼の最大の発見が何であったのかを問われた時、彼は何のためらいもなくこう答えた。「私が救い主を発見したこと。」

「科学の説明が聖書に近づいた」を出版された久保有政氏も言っているように、科学の進歩は、聖書を昔じみた単なるおとぎ話として否定するものではなく、逆に、聖書に書かれたことの真実性を証明するものとなっています。また今までの科学の発見は、 聖書に書かれていることにヒントを得たものも実際多くあるのです。

何よりもまず、宇宙に存在する、人の霊より遥かに優れた霊を確信しているクリスチャンでない科学者たちが皆、その霊とは、イエス・キリストであるという、一番素晴らしい発見をし、力強い証し人となってくれるように祈りたいと思います。

  人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。(使徒行伝十七章二七節、二八節後半)

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