主への賛美

九月十九日 主への賛美 (二〇一四年 ひとしずく一六九七)  主は、私たちに、どんなに良くしてくださっているか、妻と車の中で話し合い、そして主を讃えました。  主は、私たちのために必要を供給し、事故から守り、その力を示し、最善の道に導き、主の子供である私たちの心の願いを叶えてくださいます。  そのような待遇を受けるに値しない私たちに、主は本当に良くしてくださいます。  主に従う者、主を慕う者に対して、 主がいかに憐れみ深く、また真理を明らかにしてくださることか・・・。  主の愛は、測り知れず、豊かで、永遠に続きます。ハレルヤ! ...

感謝を忘れずに

九月十四日 感謝を忘れずに (二〇一四年 ひとしずく一六九〇)  夕食後に、娘達と話していた時、ふと「これは地上の天国だな」と思いました。たわいないことを話していただけですが、彼らがいること、一緒に話しができること、仲良くして生活していること、これら全て、如何に感謝すべきことであるか、主が気づかせてくださったのです。普段、不満を持っているというわけではありません。かえって家族にはとても感謝しているのですが、一緒にいることが神様の特別な取り計らいだと、主から改めて示されたのです。そして、感謝せずにはいられませんでした。...

感謝

九月二日 感謝 (二〇一四年 ひとしずく一五二九) イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 そして、ある村にはいられると、十人の重い皮膚病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。...

真の友

六月二日 真の友 (二〇一四年 ひとしずく一五六一)  以前、「痛みが自分の友となりました」と言って、何十年間、障害を抱え、その上 三・一一の被災にも遭った方のことを紹介しました。その方は、痛みが昼夜を問わずいつもあるために、夜もぐっすり眠ることができません。彼が、痛みを友と呼んでいたのは、その痛みから解放されることをあきらめて、痛みを抱えて毎日を過ごすことを受け入れたためであったと思います。...

気づかぬ恵みの内に生かされて

五月十四日 気づかぬ恵みの内に生かされて (二〇一二年五月 ひとしずく八二五)    友人がお母さんのお葬式で、自分で作詞作曲したというお母さんに捧げる歌を歌いました。お母さんへの感謝に溢れた歌で、とても素晴らしいので、私はその歌を録音して、機会ある毎に人に聞かせています。それを聞いた何人もの人が、目に涙を浮かべるのを見ました。 そしてある人が言ったこの言葉が印象的でした。「こうした歌を作ってくれるのは、死んでからなんだよね」と。その言葉から、子供さんとの関係について、試練を感じていることが伺えました。...