深い主の愛

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2024年3月22日

ひとしずく740-深い主の愛

主よ、あなたは
なぜ、ご自分について人々が嘘の証言をした時
ご自分のことを弁護されなかったのですか?

なぜ、嘲る者たちが、あなたを不当に鞭打つ時
また処刑場のゴルゴダの丘に引かれて行く時
天の十二軍団を呼び降ろされなかったのですか?

ローマの総督に問いつめられた時
あなたは何も答えられなかった
兵士に唾をはきかけられ
いばらの冠をつけられ
鞭打たれても
口を開かなかった

疲れて
傷だらけで
ぼろぼろの体になって
十字架を背負って
よろこめきながら
丘を上られた

十字架上での苦しみにあっても
あなたは一人一人の魂を気遣われた
御自分の傍らに並んで磔されている罪人に
「あなたはきょう、
わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」
と語られ
悲しみに打ちひしがれる母マリアの世話を
弟子のヨハネに託された

父なる神への最後の祈りは
御自分を十字架につけ
殺そうとしている者たちのための
嘆願の祈りだった
「彼らの罪をお赦しください。
彼らは何をしているか分からないからです。」

あなたは、こんなにも私たちのことを愛してくださっている

「愛は不義を喜ばないで真理を喜ぶ」
(第一コリント13:6)という言葉があります。
私たち、全ての人間は、神様の愛によって造られた者です。
そして、神様の姿に似せて造られました。
 その私たちが、悪の力に屈し、自らを暴虐、嘘、あざけりの悪行に委ねる時、主はどんなに悲しまれることでしょう? 主
は、すべての真理が明らかにされた時、その魂が後悔することを知っておられ、聖霊に逆らって語り、行動している哀れな姿を見て、喜ぶこと
はできないのです。
 しかし主は、人が彼を苦しめ、傷つけ、十字架で殺すとも、このような人の罪深さを愛によって呑み込むことができることも
知っておられます。しかもその愛は、御自分の命を捧げるほどの犠牲的な深い愛なのです。

 主よ、あなたはその悲しみの中でも、いえ、その悲しみと痛みのゆえに、私たちの魂が、あなたのもとに立ち返ることができ ることをご存知で、喜んでくださいます。
 ちょうど、やっと見つけた尊い真珠を、自分の全財産をかけて買い取る商人のように。
 私たちの魂をあがなうためには、あなたご自身の命を支払って下さる必要があった。そしてあなたはそれをされた。
 こんな石ころのような私たちなのに、あなたは値の付けられない最高の宝、探し続けていた真珠をついに見つけたと言って、 ご自分の命を捧げて下さったのです。

 私たちの命、人生が、どうしてあなたの目にそんなにも尊く見えるのか、わかりません
 しかし、あなたは言葉だけではなく、行いをもって、私たちの魂がどんなに尊いもので、それをどれほど愛してくださってい るかを示して下さいました。

 あなたは、私たちが簡単に邪悪な思いに駆られ、人の悪口を語り、自己中になり、希望を失ってしまうのを御存知です。で
も、あなたはそんなところには目も留められず「わたしの目には、あなたは高
価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と語ってくださいます(イザヤ書43章4節)。
 何と深い愛なのでしょう!

主よ、どうか私たちが、そんなあなたを悲しませることがありませんように。
どうか、あなたの期待通りに生きることができますように。そして、私たちがあなたにとって喜びとなれるよう助けて下さい。
 出会う一人一人、家族も友人も隣りに住む人も、初めて会う人も、苦手な人も、あなたが命をかけてあがなわれた尊い魂であ
り、あなたの喜びであること、あなたにとって尊い真珠のような存在であることを覚えていることができますように。

「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前 に黙っている羊のよう
に、口を開かなかった。」(イザヤ53:7)

「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために彼らの罪を自ら 負った。」(イザヤ 53:11)

「天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そ
してこれを買うのである。」(マタイ13:45、46)

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