行いによって?

11月7日 行いによって? (しずく643)「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ7:21) この聖句を、最近の「ひとしずく639-堅固な岩に、頑丈な家を建てる」に引用しましたが、「こ の節を読むと、ある人は『神の御心を行っていないから、やはり罪人の私は死んだ後は天国に行けないだ。救われてな い』と思ってしまうことがあります…この節を読むと他の救いのヨハネ3:16とかについて、やっぱり違うん...

人は蒔いたものを刈り取る

11月6日 人は蒔いたものを刈り取る (ひとしずく 638)  一昨日はJさんのライブ・コンサートがありました。Jさんは、最近とてもつらい試練と戦っていました。彼はライブのアンコール曲を歌う時に、そのことについて話してくれました。...

二心の者の道

二心の者の道 (ひとしずく636)  「彼は二心の者であって、そのすべての道において定まりがありません。」(ヤコブ 1:8) 私たちは、どれだけ 人を恐れて生きているでしょうか?  特に日本人は、この人にあるいはあの人にどのように思われるかを心配ばかりして、あるいは怖がって暮らしている人が、多 いのではないかと思います。そのため、自分の信念を妥協し、周りに合わせ、流されるままになってしまうのです。それを謙遜、柔軟、平和主...

油断することなく

油断することなく(ひとしずく635)  カエルを熱いお湯の中に入れると、すぐに飛び出ようとします。それは当たり前のことです。ところが、お湯の温度をゆっくり上げていくと、カエルはその温度の変化に気づかず、最後には煮えて死んでしまうのだそうです。...

勝利にのみ込まれた死

(二〇一一年十一月 ひとしずく六一九)  ある人達はこう言います。「イエス様は十字架上で殺され、地上での任務は 失敗に終わってしまった」と。 十字架刑は、罪人としての死を遂げるということですから、確かに十字架の 死は、敗北のように見えます。  しかし、イエス様の生涯から、その十字架の死を除いたら、私たちは主によって救われることも、また天国に行くこともできなくなってしまっ たことでしょう。 そして何よりも、イエス様の苦しみと死は、イエス様と私たちを、愛の絆によって一つに結ばせたのです。私たちがイエス様への敬慕の念を抱...