人は蒔いたものを刈り取る

11月6日 人は蒔いたものを刈り取る (ひとしずく 638)

 一昨日はJさんのライブ・コンサートがありました。Jさんは、最近とてもつらい試練と戦っていました。彼はライブのアンコール曲を歌う時に、そのことについて話してくれました。

 息苦しくて眠れなかったある夜、彼は不思議な体験をしたそうです。イエス様が彼の手を朝までずっとにぎってくれているのを感じたのです。彼は、会場に来ていたお客さんに、イエスさまがどんな方であるのか、またどれだけ自分を助け、愛してくれているかを証ししたのでした。その後、クリスチャンである自分が伝えたいメッセージを聞いてもらいたいと「浜辺の足跡」や彼のオリジナル曲「ココロに愛を」という、どちらもイエス様の愛を伝えるメッセージの歌を歌ってくれたのでした。主を知らない人たちの心にも彼のメッセージはスッーと染み透って行ったように見えました。私は思わず、そばにいたTさんに「彼(Jさん)に証しをして本当に良かったね」と昔を懐かしんで言ってい ました。

 Jさんと初めて会ったのは、もう三〇年以上前のことになります。当時、私たちは、東京に何が何でもしがみつくのが神様の御心と信じていました。そこに尊い魂がいる、そこに行けば、他の人にもイエス様を証しできるリーダーになるような人がいると主に示されていたのです。

 私は妻と一歳になる長男を抱えて、東京近辺に住まいを探し回っていました。そして弟が提供してくれたアパートに何日か泊めてもらったり、最後には千葉、行徳の安アパートに落ち着いたのでした。とても貧しい生活でしたが、そんな中でも妻も私も主の召しに燃えていました。

 そんな時、友人のTさんから連絡がありました。彼女は最初にJさんに出会った人で、一年半ほど、彼に聖書を教えていました。しかし、他の地域に移らなければならないということで、私のところに連絡してきたのでした。「とっても聖書に興味を持っている若者がいるから、彼と連絡をとってくれる?」と。

 そうして、彼が私たちのアパートに通うようになったのです。彼は一七歳の高校生でした。まだ友達と遊びたい盛りの年頃だと思いますが、彼はガールフレンドと休日の度に、私たちの住むアパートに来ては、熱心に聖書を学んでいました。彼らのような若者に出会うことができて本当に励ましでした。私たちは住む場所を探していた時に、他の地域に住む宣教師仲間から誘いを受けていましたが、やはり主の導きにしがみついていて良かったと思いました。

 その数年後、Jさんはそのガールフレンドと結婚し、二人で宣教師としての道を選んだのでした。

 私は、Jさんの霊感される、力ある音楽や証を聞きながら、当時のことを思い出し、非常に報われる思いでした。彼と最初に出会って聖書を教えていたTさんも、同じように思っているようでした。

 ちょうど、ライブの数時間前に行ったセミナーで、私は「人は蒔いたもの刈り取る」ということについて話していたところでした。そのセミナーにはJさんがイエス様に導いたNさん、さらにはNさんがイエス様に導いた人も参加していました。彼らは皆、それぞれがイエス様の導きに従ったことによって出会った人たちであることを思い、収穫の喜びと、種をまくことの重要さをかみしめたのでした。

 もしあの時、イエス様を証しするという種を蒔かなかったら、この収穫に預かることはなく、彼らは今、ここにはいなかったのです。またTさんも私も、同じように主に従い導いてくれた人がいたから、今ここに共にいるのです。

 思えば、私が伝道旅行の際知り合い、後に私たちの仲間に加わったPさん、その娘さんは、私の三男と結婚したので、蒔いた種による祝福の収穫と言えるでしょう。そう考えていくとすごいと思いました。

 私は自分の愛の欠如から、時々「毒麦の種」を蒔いてしまっているように思う時があります。主よ、お赦しください。しかし、少なくともそうした欠けた所があるにも拘わらず、主に従い、福音(良き知らせ)の種を蒔いたことで、こんなにも報われる収穫を見せていただいているのです。それは、神様の恵みであり、ご自身が語られた御言葉を神様は必ず果たされるという真実によるものです。

 「人は蒔いたものを刈り取る」聖書のこの言葉は真実です! 良い種を蒔けば、良い実を刈り取り、悪い種を蒔けば、悪い実を刈り取るのです。良い種とは、神や他の人を思って蒔かれる福音の種であり、刈り取るのは永遠の命。また悪い種とは、自分自身の栄光、利得のために蒔く種、また敵であるサタンに霊感された言動です。聖書はその悪い種から刈り取るものは滅びだと告げています。朽ちることのない永遠の命のために、良い種を蒔き続けたいものです。

 神は侮られるようなかたではない。人は自分の蒔いたものを、刈り取ることになる。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(ガラテヤ 6章7~8節)

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