ひとしずく363-たとい罪は緋のようであっても (2011年2月)
今日はまた雪になり、我が家の周り全てを覆っています。全くの白の世界です。連日の暖かい陽射しで、辺り一帯の雪も解け、ちょっと春らしくなったなと思っていた矢先のことでした。
しかし、雪が降ってちょっとほっとした気持ちもありました。明後日には、私達の家に何年来の友人が訪ねて来ます。どう見ても、雪解けの我が家の庭は、きれいとは言えない状態でした。ぬかるんだ土の庭にあちこち枯れた草が倒れていて、私たちの手入れ不行き届きが丸見えなのです。でもどうすることもできずあきらめてい ました。
今、雪に覆われた庭は、まるで別の庭のように美しく見えます。雪が、いえ、神様が私達の失敗や至らなさを、きれいに真っ白のベールで覆って下さったのです。
「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。」(イザヤ1:18)聖書の言葉が思い浮かびます。
私達は過去の失敗から学ぶことはできますが、それを何もなかったかのように消し去ることはできません。しかし主は、励ましに満ちておられ、「さあ、過去を見つめるのはもういいから、私に任せなさい。あなたの失敗や罪を全て私の愛で覆ってあげるから。あなたはもう生まれ変わったのだよ。新しい人生を歩み始めなさい。 」と言われるのです。それも主は、新しいスタートを何度でも与えて下さるのです。
主がひらひらと天から送って下さる雪を見ながら、主は私の人生においても、何度新しくやり直すチャンスを与えてきて下さったことかと、主の恵み深さを考えていました。たとい私の罪が緋のようであっても、主の恵みは今日も、そしてこれからも永遠に、この雪のように白く覆い続けて下さるでしょう。
「わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない」(イザヤ43:25)
「…わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」(詩篇51:7-10)
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(2コリント 5:17)