七月三十日 神に愛されている人々 (二〇一四年七月 ひとしずく一六〇五)
人を早まって裁いてはいけない
どんな経路を辿って
今のその人があるのか
自分はわからないのだから
その人のしたことを
悪意にとってはいけない
悪意のように見えても
その人は今、何かに
捕らわれているのかもしれない
その人の抱えている
悲しみがあり 苦しみがあり
痛みがあるのかもしれないのだから
相手の立場に完全に立てる人など誰もいない
どんな境遇で育ち
どのような試練を通過してきて
どんな傷を受けているか
自分にはわからない
神は愛する者を訓練すると言う
だからその人の通過している困難と痛みを見たら
神様がその人を愛しておられるのがわかる
その人は神様に愛されている
それは確かなこと
神は全ての人の救いのために
御自分の命を犠牲にされた
イエス様を通して
その愛を世界に示された
この人もあの人も
神様の尊い愛の対象
だから、自分の狭量な考えを捨て
イエス様の愛の目をもって人を見、
また人に接することができますように
主よ、どうか私たちが愛の経路になれるよう助けてください
私が衰え、あなたが栄えますように
私ではなく、私の内におられるあなたが輝きますように
私の内に住んでくださる主よ
あなたをお招きします
私の心の中に入ってください
そして、私の心の闇を明るく照らしてください
生きているのは、もはや、わたしでは ない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのため にご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。(ガラテヤ二章二〇節)