七月二六日 小さな花たち (二〇一四年 ひとしずく一五九六)
おはようございます。
家の前には小さな花壇を娘のYが作ってくれました。毎日、イラストの仕事で忙しいのですが、花壇の世話は自分の役割として責任を受け持って くれています。
家の前は、山と家に挟まれて、あまり日光を受けない為に、そこに植えられた色々な種類の花たちは大きくは成長できません。しかし、皆小さい にもかかわらず、とって美しく咲いてくれています。
娘は、その花壇の日照時間がとても短いのを気にしていた分、良い世話をしてくれているのがわかります。雑草だらけだった花壇に、取っても取っても生えてくる雑草を毎日のように取り除いて、また水を忠実にあげていました。娘のそうした努力に応えて、花達は、精一杯咲いている のです。
今朝、この小さな花をじっと見つめて、花が育つのは愛が注がれているからだと思いました。
光があまり当たらないという思わしくない環境の中で、頑張って育っているなと思えて、心が励まされました。
主は私達を、小さな花のように見ておられることでしょう。私達を取り巻く環境が困難な状態であればあるほど、そこに神様の愛と慈しみは豊に 注がれ、たくさんの細やかな気遣いになって現れてくることでしょう。
主がこう言われているように「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。(第二コリント12:9)
主 が今日も、一日、たくさんの慈しみと恵みで満たして下さいますように。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装っていて下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。(マタイ六章三十節)