七月十四日 「私は何も知らない」という悟り (二〇一二年七月 ひとしずく八八〇)
山道を朝早く車で登っていく時、真っ黒な動物のお尻が見えまし た。
車が近づくと、茂みの中に入っていきましたが、おそらく小熊で しょう。
私は子供たちと、登山に来たので すが、自分が山のことなどちっとも知らないことにつくづく気づかされました。考えてみれば、こうした深い山の中に熊達がいて当然なので す。私は、怖さとい うよりも、神様が、熊やフクロウや、あらゆる鳥たち、虫たち、這うものたちが、自由に生きることができるこうした山々を与えておられる、その知恵、力、偉 大さを考えて、感動していました。そして主は、ヨブ記の最後の部分を私に思い起こさせてくれました。
ヨブ記40章の口語訳には、「河馬」と訳されている動物のこと が書かれています。これはある解釈では、恐竜のことだとあります。
そのような力強く大きく巨大な動物も、神様が造られ、養われて いたのです。
山もこれがために食物をいだし、もろもろの野の獣もそこに遊ぶ…
天が下にあるものは、ことごとくわたしのものだ。」(40章10節41章11節)
他にも神様が、いかにあらゆる野の獣たち、生き物たちに食物を与えられ、また住処を与えておられるかが、ヨブ記に書かれています。(ヨ ブ記38章39章)
山の中には、様々な生き物が棲息していますが、それも神様の知恵によって、定められ、生かされているのです。生物学者らの研究によって、それらの生物の生 態が明らかにされていますが、それはほんの一部に過ぎません。それらを造られ、またそれらの生物がどんな生き方をするかを定められた、そ の神様の偉大さ、 スケールは、とても人知では計り知れないのです。
そう、私 たちはこの「神の偉大さは計り知れない」ということを悟る必要があるのだと思います。この悟りは同時に「神の主権を認める」ということで もあると思います。
私たちは、日々、様々な試練に見舞われます。時には、耐えがたい試練もあります。何故、こんなことが起こるのか、苦しみ以外に、この試練にはどんな意味があるのか、とても理解し難い時もあるでしょう。しかし、人知では計り知れない神の力がそこに存在していることを、はっきり知っておかなければならないと思います。そして、一つ一つの事柄における神の主権を認めるのです。その時に、試練の意味は今までの捉え方とは全く異なったものになるのだと思います。
自分に及んだ苦しみと病と災いについて不平を並べ立てていたヨブは、それらの神が神である ことの権限とその大能を悟らされた時、神様に次のように答えました。
見よ、わたしはまことに卑しい者です、なんとあなたに答えま しょうか。ただ手を口にあてるのみです…
「わたしはみずから悟らない事を言い、みずから知らない、測り難 い事を述べました」(ヨブ四十章四節、四十二章三節後半)
「私は何も知らない」という悟りは、何と真理に導く悟りなのか と改めて思い知らされた気がします。この大自然の山の中で、私が知らないことは数知れません。しかし、知らなくても、理解していなくと も、神様が全てを支配してくださっているのです。
私たちの人生も同じです。このことを忘れずに、平安と希望を持って生きていこうではありま せんか?
大自然の中で、主がこのような悟りを与えてくださったことを感謝します。
わたしは、あなたの指のわざなる天を見、
あなたが設けられた月と星とを見て思います。
人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、
これにみ手のわざを治めさせ、
よろずの物をその足の下におかれました。
すべての羊と牛、また野の獣、
空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも。
主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。(詩篇八篇三~九節)