六月一日 主ご自身を (二〇一二年 六月 ひとしずく八三〇)
以下は、ABシンプソンの言葉からの抜粋です。とても深く、真理をついたものだと思いました。
私はイエスについて、そしてイエスについてのみ語りたいのです。よく「神のいやしが得られたらいいのですが、いやされないのです」と言う人がいます。時には「ついに手にしました」という人もいます。何を手に入れたのかというと、それは祝福だったり、理論だったり、癒しだったり、清めだったりします。けれども、あなたが本当に望んでいるのは祝福ではなく、癒しでもなく、清められることでも物でもなく、もっと良いものであることを私たちは教わったのであり、私はそれゆえに神に感謝します。それは「キリスト」であり、主ご自身なのです。
かつては祝福を求めたが
今は主を求める。
かつては感情によってだったが
今は御言葉による。
かつては賜物をほしがったが
今では与える方ご自身を望む。
かつてはいやしを追い求めたが
今では主ご自身のみを望む。
かつては辛い試練があったが
今ではまったき信頼がある。
かつては中途半端な救いだったが
今では完全に救われている。
かつては絶えずしがみついていたが
今では主がしっかりとつかんでいてくださる。
かつては常に漂っていたが
今では私の錨は降ろされている。
かつては忙しく計画していたが
今では信頼して祈っている。
かつては案じ心配していたが
今では主が思い煩いを負ってくださる。
かつては自分の望みだったが
今ではイエスの言われる通りをする。
かつては常に尋ねていたが
今では絶えることなく賛美している。
かつては私の働きだったが
それは主の働きとなる。
かつては主を利用しようとしていたが
今では主が私を使われる。
かつては力を欲しがっていたが
今では強いあの方を求める。
かつては自分のために労したが
今では主のためだけに。
かつてはイエスに望みを抱いたが
今では主は私のものだと知る。
かつては私の灯は消えんばかりだったが
今では明るく輝いている。
かつては死を待っていたが
いまでは主の再臨をたたえる。
私の望みは錨につながれ動くことなく
幕の内側に守られている