自分の十字架

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2024年7月6日

自分の十字架

小さな用事があって、近所の老夫婦を尋ねました。「旦那さんはいますか?」と座ったきりのおばあさんに尋ねると、裏庭にいるということで、おうちの裏に回りました。すると、そこにおじいさんがいましたが、私はその90歳にもなる御老人の姿を見て、何か神々しさを感じ、じっと立ち尽くしてしまいました。

 歩くのも難しくなって、歩行が難しくなった人達が使うスクーターに時々乗っている同じ人が草刈り機を抱えて雑草を刈り取っているのを見た驚きと、また少しでもバランスを崩したら、倒れてしまうかもしれないという心配と、夕日の逆光を浴びて彼の姿がシルエットになっていたので、私が突然声をかけるなら神聖なものを損なうか、少なくとも仕事の邪魔になってしまう、あるいは突然声をかけて驚かして危ないことが起こってしまうかもしれないと思い、私のおじいさんに話しかける用事は、次の日にしようと、その場をそっと立ち去ることにしました。

彼のそうした姿を見て、連想させられた一つのことがありました。それはちょうど、綱渡りの人が竿を手にすることでバランスをうまく取れて高いところに張った綱を歩けるように、この御老人にとっても長い柄の草刈り機が、バランスを取る助けになっているようにも見えたのです。草はきれいに刈られていて、畑は、庭のようにきれいで、さすが…と思いました。

 もう立って歩くのも難しいのに鍬(くわ)を持って、畑仕事をしていた近所の同じく90歳近くのおばあさんに話しかけた時のことを思い出しました。彼女に、「畝をつくるの、大変じゃないですか」と尋ねると、「鍬を抱えていると、バランスとれて、立っているのも歩くのにも助けになるんですよ」と笑いながら答えていました。

 長年、もうその道具が体の一部にでもなっているかのように使いこなしてきた人達です。こうした彼らの姿は、彼らの農生活に徹した人生から身に着いた技能と、彼らがそうするのを神様がうまく祝福してこられたことの証のように思えました。

 私は、毎日しなければならない仕事、ある場合は、単調で辛く、他の人がしたいと思わない事、つまり自分の十字架が、ちょうどこの人達の草刈り機や、鍬のように、人生、そして毎日の生き方において、正しい優先順序を保ち、バランスを取るのを助けてくれているように思えます。

 特にそれが神よりの召しに応えること、神の戒めに従うこと、神の国と義を求めて一日、一日を過ごす事において、大変と思えること、犠牲にしかならない日々の十字架が、実は、それが私たちの歩みを正しく保って支えてくれているのだと思うのです。

 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 (マタイ6章33節)

 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。 (マタイ10章38-39節)

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