ひとしずく1505-隣 り人を愛する
今日は、午後からの自治会に参加させて頂きました。会計報告や行事予定などに
ついての話がありましたが、そうした中で、村としてお互いを助け合うことの大切さが話に出ました。
最近村であった出来事が話題にのぼりました。それは、80歳代の一人暮らしの高齢者が、脱水症状で倒れてしまったのです が、隣りの家の人がそれに気づいたのが、17時間後で、あと数時間遅かったら、命を落としていたことだろうということでした。
どうして気づいたかというと、隣の人が、食事を作って持っていったからだそうです。その人がいつものように、食事を持っ て行くと、鍵がか かったままで、新聞受けには新聞が入ったままだったので、窓から入ってみると、その御老人が意識を失って倒れていたので、すぐ救急車を呼んだのです。
この方の旦那さんと懇談会で話したのですが、この御夫婦は、毎日のように、近所の一人暮らしの御老人を伺って気遣ってい る人たちでした。これこそまさに隣人愛と言うべきでしょう。
自治会では、ますますもっとお互い声を掛け合ったり、助け合うことが必要だということを言い合っていました。そしてそれ が愛というもので あり、それが心を大切にすることだと言っている人もいました。こうした人たちの間で話を聞いて、たくさんのことを学ばせてもらいました。
私たちは、おそらく、愛についての話を誰よりもたくさん知っており、愛がどんなに大切なものであり、その愛の行為を主が どれほど望んでお られるかも知っていると思います。しかし実際は、言うは易し、行うは難しです。毎日のように、一人暮らしの人に差し入れをするという行為もなかなかできる ものではありません。
仕えるために来てくださった主の愛を知っている者として、無私無欲のこうした人たちの愛に 学び、それに生きる者になりたいと改めて思いました。
「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは 愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきで ある。世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわ れみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合 おうではないか。」(第一ヨハネ3:16-19)
「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下 さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたし たちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったので あ るから、わたしたちも互に愛し合うべきである。神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神 の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」(第一ヨハネ4:9-12)