ひとしずく745ー力ある神の御言葉
最近、妻が、配信している子育てメールの中で、昔、彼女が妊娠中毒症であったの時の経験について書きました。そして、その話が励ましになったと、幾人もの人たちが感想を送ってくださったそうです。
今でも時々、妻とあの頃のことを振り返って話すことがあります。
妻を診断していた医師は、診断中に妻の具合が悪くなったのを見て、慌てて「この場所で死んでは困るから、他の病院に行ってください」と言いました。そう言われて、妻の容態はますます悪化してしまいました。医師や看護婦の恐れが、妻に影響を与えてしまったようです。
しかし、妻は御言葉に聞き入ると力が与えられるのを知っていたので、救急車を呼んで救急病院に行くよう急かす医師に「少し時間を下さい」と言いました。そして私に、聖書の詩篇91篇や23篇など、また主の保護に関する約束の聖句を読んでくれるよう頼んだのです。
私も彼女に必要なのは、命を与える神様の言葉であるとわかっていたので、彼女の耳元でそれらをしばらく読んで聞かせたのでした。
すると、妻の体に変化が表れました。チアノーゼで、紫色になっていた唇や指が普通の色に戻り、呼吸も落ち着いてきたのです。
神様の力強い御言葉が、彼女に力を与え、危機を乗り越えさせてくださったのでした。
そして、その時だけではなく、心臓の弱い妻は今まで幾度も体調の悪い時があり、ある時は天国に行く覚悟さえしたほどの時もありましたが、私が彼女の枕もとで聖書を読むと、その度に彼女は奇跡的に回復して行ったのでした。
その妻もここ数年の間にすっかり元気になりました。
昨日は妻と、今までのそのような時を振り返って、神の御言葉とは、いかに霊ばかりでなく体に生命を吹き込む力を持っているかということを、しみじみ話していたのでした。
神を信じる人たちが、この神の御言葉の威力をもっともっと体験し、また、神の御言葉を知らない人たちにも、ぜひ、この力を知って頂けたらと願っています。
以下は、希望と命を与える、力ある神の御言葉の約束の幾つかです。
主が、病と試練の最中にある人たちに、世の力を越えた天からの癒しの力を注いで下さるようにお祈りしています。
「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。」(詩篇91:1-7)
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」(詩篇23:1-6)
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。」(詩篇121:2-9)
「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。」(詩篇19:7)
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」(ヨハネ6:63)
「イエスは・・・あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。」(マタイ9:35)
「わたしは主であって、あなたをいやすものである」(出エジプト記15:26)
「信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。」(ヤコブ5:15)
「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、 いやされたのである。」(1ペテロ 2:24)