春を待ち望む

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2024年3月24日

ひとしずく742-春を待ち望む (2012年3月)

 来る日も来る日も大雪に見舞われる、秋田での長い冬・・・。今まで、春が これほど待ち遠しいと思ったことはありません。
 ここでの冬は、雪かきと屋根の雪降ろしと、毎日が雪との戦いです。
 仕事でどんなに疲れていても、翌朝、雪が積もっていれば、やはり雪かきを しなければなりません。
 これでもかこれでもかと、降り積もる雪との格闘は、忍耐が試されます。
  しかし、陽の光が暖かくなり、雪の降る量より、溶ける量が多くなって、次第に積もった雪の高さが低くなり出すと、この大変な時期ももうす
ぐ終わりになるのだと、心が明るくなってきます。そして、ふきのとうがあちこちで芽を吹き出すのを見たり、裏山を散策して山菜採りなどを
したりするのが、楽しみになってきます。まだ雪に囲まれていても、思いは春の喜びで満たされてくるのです。

 人生の試練も、季節で言えばこの冬のような時期と言えるものがあると思い ますが、その冬のような試練について、主はこんな約束をしておられます。
 「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるの
である。」(1コリント10:13)

  試練の最中にあると、まるでそれが永遠に続くかのように思えてしまいますが、冬がそうであるように、試練の期間もいつまでも続くわけでは
ありません。それは励ましではないでしょうか?そして主は、私たちがどれだけの試練に耐えられるかをご存知で、試練の大きさも、またその
試練の期間の長さも定めて下さっており、何よりも、その試練の最中に、逃れる道をも用意して下さっているのです。
  今や、日本だけではなく世界中のあちこちの国々も、試練の時を通過しているように思えます。世界全体が、かつては無かった様々な問題に遭
遇しています。しかし、こうした試練の時もまた、冬の時期を過ぎれば、暖かな希望の春がやってくるのです。そして、もうひとつ忘れてはな
らない大事なことがあります。それは、冬(試練)を通過するように取り計られているのは、主であるということです。そして寒い冬の時も、
主が共にいて下さるということを覚えているなら、辛さの中にも主の素晴らしいご計画と祝福が見えてくることでしょう。

深い雪と冷たい空気が、
耐え忍ぶ事を教えてくれる
苦しい者たちの痛み
悲しむ者たちの悲しみを感じ取らせてくれる
心を砕いて柔らかにしてくれ
感謝と励ましの大切さを教えてくれる

私たちが待ち焦がれる地球の春について、以下のような主の約束があります。

「荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、さかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う・・・彼らは主の 栄光を
見、われわれの神の麗しさを見る。あなたがたは弱った手を強くし、よろめく
ひざを健やかにせよ。心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこ
られる。神は来て、あなたがたを救われる」と。その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。それは荒野
に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、
葦、よしの茂りあう所となる・・・主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌
うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」(イザヤ35:1-10)
「ほ むべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえら
せ、それにより、わ たしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継
ぐ者として下さっ たのである。
 あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神 の御力に守られているのである。
 そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばなら ないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。
 こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はな い金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れる
とき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。
 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現 在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜
びにあふれている。それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからであ る。」(第一ペテロ1:3-9)

訂正:昨日の 「ひとしずく742ー雪球」の中で、「天にいる多くの証人(天使)たちが、皆、私を見ていました」と書きましたが、「天にいる多くの証人や天使たちが、皆、私を見ていまし
た」に訂正したいです。もちろん天使は、いつも私たちを見て下さっていると思います。守護天使もいれば、色々な他の任務に使わされている
天使達が大勢います。
ただ私がそこで引用していた聖句
のヘブル12章1節からの「証人」という言葉は、その前の章を見てもわかるように、以前神様を信じて、信仰を保って他界した大勢の聖徒た
ちのことを指しています。

ですから、私を上から雲のように大勢の生き て見守っている存在は、きっと天使たちと証人達(すでに死んだ聖徒たちの霊たち)であったと信じています。

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