命にいたる道へ (2014年3 月 ひとしずく1497)
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そ して、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」(マタイ7:13,14)
主は、この世のお祭り騒ぎに浮かれている大多数にではなく、
真理を絶えず求め続ける、心の飢えた者たちに命の道を示される。
テレビ、インターネット、雑誌などを通して、魂を少しも養わないばかりか、
命を吸い取ってしまう虚しいことが語られている。
それを見続け、それにいつまでも浸り続ける大勢の人たち。
楽しみが悪いわけではない。
しかし、よく考えてみる必要があると思う。
私たちは神の道を歩んでいるのだろうか? それとも、自分の道を 歩んでいるのか?
多くの時間を神のために費やしているのだろうか? それとも、自 分のために費やしているのか?
神の声を聞いているのだろうか?それとも悪魔の声をきいているの か?
神は私たちの曖昧な信仰や不従順に怒るよりも、悲しんでおられる のではないかと思う。
しかし、私たちはそんな主の思いにさえ気づかずに、神様の下さる最高のものの代わりに、この世の虚しいまがい物で心を楽し ませ満たしているのではないだろうか?
主が帰ってこられる時、目をさまして主に近く従い続ける者はどれ だけいるのだろう?
もう時は短いというのに・・・。
主よ、どうか、私たちを憐れんでください。信仰の弱い私たちを助 けてください。私たちは、この世と妥協しつつ、あなたに従っていくことはできません。この世のことばかりに気を取られ思い煩っているな ら、あなたの思いを知ることもできません。
主よ、どうか私たちに、あなたから与った命が何のためにあるの か、今一度思い起こさせてください。そして、何があなたの御旨であり、何があなたを喜ばせ、また悲しませるのか考え、常にあなたを仰ぎ見 つつ生きられるよう助けてください。
私たちが、この世と妥協することなく、命に到る狭き道を、日々、 歩み続けることができますように。あなたに喜ばれることが何であるか、わきまえ知ることができますように。
「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝で ある。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」(ローマ12:1、2)