命にいたる道へ

j
2024年3月13日

命にいたる道へ (2014年3 月 ひとしずく1497)

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そ して、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」(マタイ7:13,14)

主は、この世のお祭り騒ぎに浮かれている大多数にではなく、

真理を絶えず求め続ける、心の飢えた者たちに命の道を示される。

テレビ、インターネット、雑誌などを通して、魂を少しも養わないばかりか、

命を吸い取ってしまう虚しいことが語られている。

それを見続け、それにいつまでも浸り続ける大勢の人たち。

楽しみが悪いわけではない。

しかし、よく考えてみる必要があると思う。

私たちは神の道を歩んでいるのだろうか? それとも、自分の道を 歩んでいるのか?

多くの時間を神のために費やしているのだろうか? それとも、自 分のために費やしているのか?

神の声を聞いているのだろうか?それとも悪魔の声をきいているの か?

神は私たちの曖昧な信仰や不従順に怒るよりも、悲しんでおられる のではないかと思う。

しかし、私たちはそんな主の思いにさえ気づかずに、神様の下さる最高のものの代わりに、この世の虚しいまがい物で心を楽し ませ満たしているのではないだろうか?

主が帰ってこられる時、目をさまして主に近く従い続ける者はどれ だけいるのだろう?

もう時は短いというのに・・・。

主よ、どうか、私たちを憐れんでください。信仰の弱い私たちを助 けてください。私たちは、この世と妥協しつつ、あなたに従っていくことはできません。この世のことばかりに気を取られ思い煩っているな ら、あなたの思いを知ることもできません。

主よ、どうか私たちに、あなたから与った命が何のためにあるの か、今一度思い起こさせてください。そして、何があなたの御旨であり、何があなたを喜ばせ、また悲しませるのか考え、常にあなたを仰ぎ見 つつ生きられるよう助けてください。

私たちが、この世と妥協することなく、命に到る狭き道を、日々、 歩み続けることができますように。あなたに喜ばれることが何であるか、わきまえ知ることができますように。

「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝で ある。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」(ローマ12:1、2)

他の投稿もチェック

イエス・キリストの生涯-38

イエス・キリストの生涯-38 聖書の基本4 https://ichthys.com/4A-Christo.htm ロバート・D・ルギンビル博士著 j.  最後の過越の祭り<ii>:  十字架につけられる前の最後の一週間に関して聖書は、ベタニヤでマリヤがイエスに油を注ぐことから始まり(すなわち、ヨハネ12章1節の「6日間」)[1]、そこに起こるほとんどすべてのことは、イエスがこの初降臨の最終段階を通して弟子たちに予告しようとしてきた本質的な真理を前もって示す役割を果たしています(例えば、マタイ16章21-26節,...

イエス・キリストの生涯-37

イエス・キリストの生涯-37 聖書の基本4 https://ichthys.com/4A-Christo.htm ロバート・D・ルギンビル博士著 2) イエス・キリストの教えるミニストリー<vii> j.  最後の過越の祭り<i>:  主の三年半のミニストリーの最後の年は、しばしば 「対立の年」と呼ばれます。それは主が、ユダヤの政治的・宗教的支配層(すなわち、サドカイ派とパリサイ派)からの敵意が顕著に強まるのを経験されたのが、前の過越の祭りと最後の過越の祭りの間だったからです。...

イエス・キリストの生涯-36

イエス・キリストの生涯-36 聖書の基本4 https://ichthys.com/4A-Christo.htm ロバート・D・ルギンビル博士著 2) イエス・キリストの教えるミニストリー<vi> e) イエスの教えの形と内容: イエスはロゴスであり、人格を持った神の生きた言葉です(ヨハネ1章1-14節)。 さらに、神の真理の内容は聖典の中で(聖霊によって伝えられる)「キリストの思い」と呼ばれています(第一コリント2章16節)。...