旅―答えを探し求めて  パート2 

旅―答えを探し求めて  パート2 (2014年3月 ひとしずく1494)

大学でイエス様に出会ってから、しばらくして私は宣教師になりました。以来40年近くの間、神様の愛を日本各地、そして中国や ロシアなどにも赴き伝え歩きました。

その間に、同じ宣教師であった妻と出会い、何と12人の子供に恵まれました。すでに上の子供たちは独立し、妻と5人の子供たち と少し前まで栃木県北部に住んでいましたが、原発事故が起こり、できるだけ放射能から子供たちを守るために、実家の秋田に家族で引越し、 一人暮らしをしていた母と今は一緒に住んでいます。大好きだった以前の場所を離れるのは残念でしたが、子供たちのことを思えば、今の場所 に移ったことは良かったと思っています。ここに移ってから、おばあちゃんの畑仕事を助けていた18歳になる息子が、農業に興味を持ち、 今、この息子が中心となって、みんなで美しい自然の中で野菜作りに励んでいます。

一昨年、この息子や娘達を連れて北海道に行きました。私が高校生の時に歩いた場所です。最近、色々な災害や事故があちこちで起 こる中、いつまでこの美しい自然を安心して楽しむ事ができるかわかりません。神様が私たちに下さった、素晴らしい遺産、この素晴らしい自 然を子供たちにも見せたいと思ったのです。そして、もう一つ、私はあの時の北海道の旅のお蔭で、神様の愛を特別な形で実感することができ ました。この神様の愛を子供たちにも体験してほしい と思ったのです。そして、あの場所で、あの時と同じ、美しく暖かな朝日を子供たちと一緒に浴びる機会に恵まれました。

人生の意味と目的を知った私が、もう一つ、わかったことがあります。それは神様は私たちをどんな状況にあっても養ってくださる ということです。 私は宣教のために忙しく働いてきましたが、12人の子供たちが今まで養われ、成長してこられたのは、ただ神様の深い恵みにあずからせて頂いたからです。そ して、以下の聖書の言葉もやはり真実であったと確信するに至りました。

「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は 食物にまさり、か らだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを 養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿 命をわずかでも延ばすことができようか。 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あな たがたに言うが、 栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのよ うに装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べよう か、何を飲もう か、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これ らのものが、こと ごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを 求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6:25-34)

あなたは、人生の意味や目的を見つけましたか? あなたを、深く愛し、気遣っておられる方がおられるのを知っていますか?

人生の苦しみや試練、また自分の罪深さに、どうしようもなく思い悩み、生きていることに何の意味も見出せないでいるのなら、神 様はまさに今、その苦しみ悩みを通して、あなたの心の扉を叩いているのです。神様は今までずっと、あなたがあなたの造り主である神を見出 し、心に受け入れてくれるのを忍耐強く待っていました。どうぞ、次のように祈り、神の御子イエス様を、心の中に招いて、その愛の深さ、優 しさ、真実さを体験し、味わってください。イエス様はあなたを愛しています。

祈り:「イエス様、利己的で愛のない私の全ての罪をお許しください。どうか私の心の中に入り、永遠の命をお与えください。そし てあなたの愛で満たしてください。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。」

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るた めである。」(ヨハネ3:16

 「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食 を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」黙示録3:20

上記のイエス様を心に迎え入れる祈りを祈り、神の子イエス様を心に迎え入れたなら、あなたは神の子であり、天国の一員です。あ なたの全ての罪は、イエス様の支払われた血の代価のゆえに清められ、霊の内に新しく生まれたのです。そして永遠の命を受けたのです。

神様に素晴らしいことをして頂くために、あなたは自分は何もしていない、自分はふさわしくないと思っているかもしれません。し かし、これが神様からの福音、つまりゴスペルであり、よきおとずれ、神様はあなたを愛しているという良き知らせなのです。聖書はこのこと を次のように記しています。

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、神の賜物である。決して、行い(働き)によるの ではない。それは誰も誇ることがないためなのである。」(エペソ2:8,9)

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った。見よ、全てが新しくなったのであ る。」(第二コリント5:17

「彼(イエス様)を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血 すじによらず、肉の欲によらず、また人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12,13)

天に辿り着くまで、神の子であられ、神であるイエス様がその旅のお伴をして下さいます。

どうぞ、あなたもこの旅の伴侶を心に迎え入れて、愛であられる神様が備えてくださったあなたの人生という旅が、神様の愛といつ くしみで満たされたものとなりますように、お祈りしています。

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