神様が共におられるなら小さくても大きい (2014年3月 ひとしずく1484)
一人の少年ダビデの投げた一個の石が巨人ゴリアテを倒した。(サムエル記上17章)
一人の奴隷として連れて来られたイスラエルの少女がシリア軍の将軍ナアマンの癩病を癒す助言を与えた(列王記下5章)
一人の少年が二匹の魚と五つのパンをイエス様に捧げたので、飢えていた何千もの人たちが養われることになった。(ヨハネ6:5-13)
一人のやもめが、最後の粉と油をもって預言者を養ったので、預言者とやもめとその息子は養われた。(列王記上17:12-16)
一匹の小さな虫がヘロデ王を噛んだので、王は死んだ。(使徒12:20-23)
一人の生まれながら足のきかない物乞いが癒されたのがきっかけで、五千人の人たちが主イエスを信じることとなった。(使徒3章)
一人の少年ダニエルがネブカデネザルの夢を解き明かすことができたので、バビロンのすべての知者は死を免れた。(ダニエル2章)
一人の小さな赤ちゃんを神様は救い主として世に使わし、世界に救いをもたらした。
神はその一人子を賜り、その御子を信じる者がひとりも滅びないで永遠の命を得ることができるようにしてくださった。(ヨハネ3:16)
神さまが共におられるのなら皆、小さくても大きいのです。