主を待ち望む

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2024年3月2日

ひ としずく354-主を待ち望む

「主を待ち望め」

聖 書にいくつも出てくる言葉です。

主 を待ち望むということは、主が介入して下さるのを信頼して待つということだと思います。

現代の社会においては、何でもすぐに成されることを要求し 合っており、それが当たり前のようになっているようです。

皆 がせわしく動き回り、お互いに急かせ合っているのです。このように、せわしい世界におかれているが故に、時間の短縮、ノルマ達成に明 け暮れるというプレッ シャー生活を強いられてしまうのでしょう。確かに物事をすばやく効率的にするのは、良い場合もあるかも知れません。しかし、あらゆる ことに、い つもそうである必要はないと思うのです。じっくりと時間をかけるべきものというものもあるはずです。

主は普通、変化のた めの時間をかけられます。また私たちが成長するためにも、理解するためにも時間をかけられます。子供は大人に成長するまで、かなりの 時間がかかります。主がそのように定められたのは、それがとても大切なことだからではないでしょうか?

そ れと同じように、時々、私たちが主に何かを祈り求めた時、その祈りに主が答えられないように思えることがあるのは、主は何か大切な理 由によってその答えを 与えられるのに時間をかけられているからなのかも知れません。じっくり時間をかけることによって成されていくものがいくつもあるので す。

詩 篇27編は、穏やかにして、神を待ち望むことを教えてくれる箇所で、私は大好きです。私たちは完璧でもなければ知らないこともたくさ んあります。そして私 たちにはどうすることもできない状況もよくあり、常に神に頼らなければならない弱い存在です。聖書には常に祈りなさいとあります。し かし私たち は主を急かして祈り求めることはできません。主は最善のタイミングをご存知であり、何が成されることが最善かもご存知です。その全能 の神が憐れみの内に降 りてきて下さり、介入して何かをして下さるということをいつも信頼して待つ必要があるのです。

祈ってもあまり変化が無いように見えても、なお主を待ち望 むその態度こそが、造られた私たちが、造って下さった神に対して、とるべき正しい態度なのだと私は思うのです。そして主を待ち望むな ら、私たちは決して失望することはないでしょう。

「主 を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。」(詩篇27:14)
「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ること はない。」(イザヤ40:31)

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