イエス・キリストのゆえに、過去も現在も未来も素晴らしい
過去は変えられません。でも過去の出来事に対する見方を変えることはできます。今まで、過去に起こったあることを事実として認めていたとしても、それが神様の見解と異なるなら、それに固執していたいだろうか? 神の見解を受け入れるために、どれだけ長い間固執していた考えでも、捨てることができますように!
間違いだらけの古い過去も、主は一新にされました。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いも のは過ぎ去った、 見よ、すべてが新しくなったのである。(第二コリント5章17節)とあるからです。
今、現在を大切にしたいと普通の人は思っていると思います。しかし、過去の悲しみや将来の不安に、今を蝕ませることはよく人がしてしまうことです。変えることのできない過去と思い煩ったからといって良い方に変ることのない将来のことは、神の御手に委ねて、今、主が下さった機会を最大限に用いることに思いを集中しよう。主は共におられて、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(ヘブル13章5節)と言っておられるのだから。
未来は、神の御手の中にあります。たとえ私たちの幸せやまた命を滅ぼそうという悪魔の悪だくみがあっても、全てをコントロールしておられるのは神。神様の許しなしには、何一つ起こることはありません。思い煩う必要はありません。
「明日のことを思いわずらうな。あすのことはあす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である。(マタイ6章33節)
主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。そ れは 災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。(エレ ミヤ29章11節)
わたしは確信する。死も生も、天使も支 配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおけ る神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(ローマ8章38,39節)