キリストのゆえに過去も現在も未来も素晴らしい

j
2023年11月26日

イエス・キリストのゆえに、過去も現在も未来も素晴らしい

過去は変えられません。でも過去の出来事に対する見方を変えることはできます。今まで、過去に起こったあることを事実として認めていたとしても、それが神様の見解と異なるなら、それに固執していたいだろうか? 神の見解を受け入れるために、どれだけ長い間固執していた考えでも、捨てることができますように!

間違いだらけの古い過去も、主は一新にされました。

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いも のは過ぎ去った、 見よ、すべてが新しくなったのである。(第二コリント5章17節)とあるからです。

今、現在を大切にしたいと普通の人は思っていると思います。しかし、過去の悲しみや将来の不安に、今を蝕ませることはよく人がしてしまうことです。変えることのできない過去と思い煩ったからといって良い方に変ることのない将来のことは、神の御手に委ねて、今、主が下さった機会を最大限に用いることに思いを集中しよう。主は共におられて、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(ヘブル13章5節)と言っておられるのだから。

未来は、神の御手の中にあります。たとえ私たちの幸せやまた命を滅ぼそうという悪魔の悪だくみがあっても、全てをコントロールしておられるのは神。神様の許しなしには、何一つ起こることはありません。思い煩う必要はありません。

「明日のことを思いわずらうな。あすのことはあす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である。(マタイ6章33節)

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。そ れは 災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。(エレ ミヤ29章11節)

わたしは確信する。死も生も、天使も支 配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおけ る神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(ローマ8章38,39節)

他の投稿もチェック

誰 の声に従うのか?

ひとしずく1557-誰 の声に従うのか? ある人が、クリスチャンではない 友人たちに自分の悩みを相談し、その友人たちの言う通りに行動した結果、その結果が結局自分の望んだこととは反対のことが起ってしまった ことを非常に悔やんでいました。自分はそうは思っていなかったのに、友人たち皆が口をそろえて同じ事を言うので、自分もいつしか彼らと同 じ気持ちになってしまっていたということでした。今思えば、その決断は主の見方、やり方ではないし、自分の本心でもなかったと、寂しそう に言っていま した。 私たちはよく、神を恐れるよりも...

聖書の中の偉人たち

ひとしずく1556-聖書の中の偉人たち  有名な人の生涯を見て、その数々の偉業に、凄いなという印象と圧倒される思いを抱く事があります。しかし、そこからいくらか学べることはあるものの、励ましを受けるより、自分にはそんなこと、とてもできそうにないとがっかりしてしまう場合があります。  反対に、偉大な人たちの失敗や罪を見る時、こんな偉大な人でも罪深いところがあり、それにも拘わらず、神様は彼らを赦し大いに用いられたのだとわかると、とても励まされるのではないでしょうか。もしかしたら、自分にも希望があるかもしれない、と。...

聖 書に書かれている農業

ひとしずく1554-聖 書に書かれている農業  先日、創世記を読んでいて、一つ発見がありました。それは、人はエデンの園に置かれた時、神様から園を耕すようにと言わ れていたことで す。私はずっと、畑を耕すことは、アダムとイブが罪を犯して、エデンの園から出されてから神様から課せられた仕事だと思っていました。しかし創世記2章に は次のように書いてあります。  「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。」 (創世記2:15)...