イエス様の枝

七月十五日 イエス様の枝 (二〇一二年七月 ひとしずく八八五)   (イエス様から:)私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。ぶどうの枝が「私はぶどうの実ではなく、リンゴの実がほしいのです」と、要求するだろうか?ぶどうの実を生らせるべく創られているのに、それに不平を抱き感謝のない枝には、樹液が流れることがなくなる。枝がぶどうを生らすことを 望んでいないのだから。...

「私は何も知らない」という悟り

七月十四日 「私は何も知らない」という悟り (二〇一二年七月 ひとしずく八八〇)  山道を朝早く車で登っていく時、真っ黒な動物のお尻が見えまし た。 車が近づくと、茂みの中に入っていきましたが、おそらく小熊で しょう。  私は子供たちと、登山に来たので すが、自分が山のことなどちっとも知らないことにつくづく気づかされました。考えてみれば、こうした深い山の中に熊達がいて当然なので す。私は、怖さとい...

命の素晴らしさに触れる

七月十三日 命の素晴らしさに触れる (二〇一二年七月 ひとしずく八七九)  主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。(創世記二章十五節) 園芸や畑造りに夢中になっている人たちを見ていると、花が咲いたとか、実がなったとか、もう少しで収穫できるとか、その喜びがとてもシンプルで、その栽培をとても楽しんでいるのがわかります。私も今、田舎でその喜びと楽しみに与っています。...

犬のラッキー

七月十二日 犬のラッキー (二〇一二年七月 ひとしずく八七七) わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43章4節) 時々、誰でも、自分がどうしょうもなく惨めで、何の価値もないように思えることがあるのではないでしょうか?周りの人は皆、輝いて見えるのに、自分ときたら、いつまで経っても同じような試練や問題を抱え、まるで冴えない人生を送っているように感じたり・・・。しかし、そんな時に、慰めと希望を与えてくれる、こんなお話があります。=========...