七月二五日 御翼の下 (二〇一四年 ひとしずく一六一三)
昨夜、久しぶりに会った信仰の仲間たちと証しを分け合い、賛美をしまし た。そこには、十年以上もレバノンで宣教していて、今日本に来ている姉妹もいました。彼女とは三十数年来のつき合いです。
彼女に興味深い話を聞きました。二〇〇六年の空爆が酷かった際、レバノンにいた多くの日本人が立ち去ったそうです。その 時、レバノンを立ち去ろうとしなかった彼女とその家族に、ある人がこう尋ねたそうです。「あなたは どうして故国に帰らないのですか?」と。神様からの召しを受け、神様の導きと信じてレバノンにやってきていた彼女は、こう答えました。 「主の御心の中心こそ、神様の保護の中心です。主が私をご自身の御手の中において守っておられるのですから心配はいりません」と。
主は彼女と彼女の家族をそのような危険な異国の地で守ってこられました。 主は約束どおり、そうしてくださるのです。
皆で、「安けし御翼の下」という賛美歌を歌いました。それは、こうした危 機にある人たちを守る神様の保護の力の確かさと神の慈しみ深さを感じさせるものでした。
「安けし御翼 の下」
1、安けし御翼の下 嵐吹きすさぶとも
主は常に守りたもう 贖いませる子らを
♪ 御翼の下よ 放たざる愛
御翼に守られ 常磐(ときわ)に安し
2、静けし御 翼の下 地には癒すものなし
我が魂は慕い求む 慰めと恵みとを
3、貴し御翼 の下 試みの時隠れん
損のうもの絶えてなし 主によりて安き身を
とても、平安を与えてくれる素晴らしい賛美でした。ところで、先述の姉妹 がこう付け加えました。「爆撃の爆弾以上に、耐え難いものになるのがあります。それは心の中の試 練です」と。聖書にも次のようにあります。
人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えよう か。(箴言十八章十四節)
愛する人を失ったり、人に誤解されたり、自分の弱さにがっかりしたり、共 にいてくれる人、励ましてくれる人が誰もいないという時、その試練はとても耐え難いものになり、大きな波に飲み込まれそうになってしまい ます。しかし、そんな耐えられないと思える 時でも、神の約束は私たちに、やはり耐える力と逃れる道を備えてくださっている事を教えてくれています。そして私たちには、御翼の下とい う避け所があるのです。
あなたがたのあった試練で世の常でないものはない。神は真実である。神 は耐え られないような試練に遭わせられないばかりか、試練と同時にそれに耐えられるように、逃れる道も備えていて下さるのである。(第一コリント十章十三節)
主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからで ある。 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。(詩篇九一篇三、四節)
神よ、 あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。人の子らはあなたの翼のかげに避け所を得、あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。いのちの泉はあなたのもとにあり、われらはあなたの光によって光を見る。どうか、あなたを知る者に絶えずいつくしみを施し、 心の直き者に絶えず救を施してください。」(詩篇三六篇七~十節)
あなたはわたしの避け所、敵に対する堅固なやぐらです。わたしをとこしえにあなたの幕屋に住まわせ、あなたの翼の陰にのがれさせてください。」(詩篇六一篇三、四節)
神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまではあなたの翼の陰をわたしの避け所とします。(詩篇五七篇一節)(ダビデが洞に入ってサウルの手を逃れた時に詠んだもの)