養育係り

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2023年7月22日

七月二二日 養育係り (二〇一〇年 ひとしずく三八)

生ける神に、望みを置いて (第一テモテ4章10節)

ザリガニが脱皮をするシーンをドキュメンタリーで見ました。脱皮をした直後は、皮も柔らかく生存するにはとてもリスクが高いのですが、しかしこの脱皮ができないと、今まで保護してくれた堅い甲殻は、かえって成長の妨げとなって、ザリガニは成長どころか死んでしまうということでした。

わたしはこれを見て、人生も同じではないかと思いました。わたしたちも、この脱皮の時期をいくつも通過するのではないでしょうか? 主は色々な状況や人を、わたしたちのために養育係りとして使われます。

この人と一緒にいれば安心だ、このリーダー、この教師とはいつまでも一緒にいたい。わたしたち は、何度そう思ったことでしょう。しかし、そんな素晴らしい人に会えても、必ず別れる時が来ます。また慣れ親しんだ状況もそうです。うまくいっている仕事場にいつまでもいたいとは誰もが思うことでしょう。しかし、神様は、わたしたちが成長するために、いくつもの変化を通過するようにわたしたちの人生を設定されているようです。

弟子たちも主イエスに、師として、救い主として出会い、その愛を受けた時、きっといつまでも離れたくないと思ったことでしょう。しかし、三年半の短い訓練の後に、イエスは弟子たちを地上に残し、彼らにその仕事を託して、天の父の元に行かなければならなりませんでした。

主は弟子たちに「わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう」(ヨハネ16章7節)と語られました。

主が弟子たちのもとを離れることは、肉体を持った主イエスに頼るのではなく、彼らが直接、聖霊のささやきを聞き、自分の内にあるイエスの霊の力と、神がいかに自分たちを世話してくれるかを自ら体験するためにも必要だったのです。脱皮の時にはつらい思いもしますが、わたしたちの成長のために主が与えてくださる贈り物として、感謝して受け止めたいものです。

このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。しかし、いったん信仰が現れた 以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合う バプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。(ガラテヤ3章24~27節)

イエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。(第二コリント4章11節)

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