七月十三日 命の素晴らしさに触れる (二〇一二年七月 ひとしずく八七九)
主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。(創世記二章十五節)
園芸や畑造りに夢中になっている人たちを見ていると、花が咲いたとか、実がなったとか、もう少しで収穫できるとか、その喜びがとてもシンプルで、その栽培をとても楽しんでいるのがわかります。私も今、田舎でその喜びと楽しみに与っています。
神様は本来、人間がそのように自然の中で生活し、神様の創造物を相手に、育て世話することをさせようとなさっているのだと思います。そこから、たくさんのことを学び、植物や生き物に対する慈しみの心が育まれ、それは同時に、人を愛する心を育むものだと思います。そして何より、神さまの恵みを感じるのです。
私のしばらくの留守中、高二になる息子は、私の母と毎日畑仕事をしていました。そして「植物の世話はね、子供を世話するのと同じなんだって」と母から教えられたことを話してくれました。
肥料をやり、水を撒き、害虫や雑草を取り除き、枯れた葉っぱをとって収穫を楽しみに成長を見守る・・・。植物には、それぞれの性質があり、扱い方が違い、好みも苦手なことも違います。天候を心配し、防虫や防鳥の対策をしたり、より多く実を実らせるように剪定したり・・・と、確かに子育てするような気苦労や忍耐や楽しみがたくさんあり、人生で必要なこともたくさん学びます。
考えてみると、人々は長い間、農耕を当然のこととしてやってきました。種を絶やさぬよう大切にし、土を耕し、働く人や家畜をいたわってきました。そして自然と共存していることをわきまえており、自然の恵みを誰もが感謝していたのだと思います。そこから神様の存在を自然と感じたり、神様により頼んだりしていたのでしょう。
しかし今は、私たちは、農業や家庭菜園に限らず、自然と触れ合う機会さえ、少なくなっています。自然のあまりない都内に住んでいる人は尚更です。
自然の中には、厳しさ、優しさ、命、死、がつまっています。そしてそこには、偉大な神様の知恵が隠されているのです。
忙しい毎日を過ごしている私たちが、時には手と頭を休めて、神様が与えてくださった命の素晴らしさ、美しさに心養われる時を忘れないようにしたいものです。
どこにいても、小鳥や、小さな虫、また空に浮かぶ雲、夕立、夕焼け、心地良い風など、あらゆるものをもって、主が私たちを慰め励まして下さっているのですから・・・。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。(ローマ一章二十節前半)
もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。 (詩篇十九篇一節)