愛の律法に生きた人

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2023年7月7日

七月七日 愛の律法に生きた人 (二〇一二年七月 ひとしずく八六八)

 内村鑑三がその著書「代表的日本人」の中で「愛の律法に生きること」、つまり当時の言葉で言えば、「徳を保つこと」こそが、神の国を地上に到来させる方法であり、制度や規則をもってではないと伝えています。 「不法がはびこるので多くの人の愛が冷える」この聖書の預言通りになっている今の社会情勢の中で、国家はますます規制、 規則、法律、厳しい罰則をもって何とか秩序を保とうとするでしょう。しかし、私たちは、内村鑑三氏が「代表的日本人」(岩波文庫)で語っている次のことをよく考えてみるべきだと思います。

「徳に代わる制度はないと、固く信じなくてはなりません。いや、徳がありさえすれば、制度は、助けになるどころか、むしろ邪魔であります。『進んだ政府機構』といいましたが、それは聖人を助けるためではなく、泥棒をとらえるためです。思うに代議政体は、一種の進んだ警察組織です。悪党や泥棒は、それでうまく抑えられるが、どんなに大勢の警察をもってしても、一人の聖人または一人の英雄に代わることはできません。『それほど悪くもなければ、それほど良くもない』というところが、この組織についていえることでしょう。

 本当の忠義というものは、君主と家臣とが、たがいに直接顔を合せているところに、はじめて成り立つものです。その間に「制度」を入れたとしましょう。君主はただの治者に過ぎず、家臣はただの人民であるにすぎません。もはや忠義はありません。憲法に定める権利を求める争いが生じ、争いを解決するために文書に頼ろうとします。昔のように心に頼ろうとはしません。献身とそれのもつ長所は、つかえるべきわが君主がいて、慈しむべきわが家臣があるところに生じるのです。封建制の長所は、この治める者と治められる者との関係が、人格的な性格をおびている点にあります。 その本質は、家族制度の国家への適用であります。したがって、いかなる法律や制度も『愛の律法』にはおよばないように 、もし封建制が完璧なかたちで現れるなら、理想的な政治形態といえます。」

大勢の警察をもってしても、代わることのできない聖人とはどのような人のことでしょう?内村鑑三氏は「代表的日本人」の一人として「上杉鷹山」を挙げています。

 J・Fケネディ元大統領が、最も尊敬する政治家は?との質問に「上杉鷹山」と答えた話は有名です。ケネディ大統領は、内村鑑三の英文「代表的日本人」を読んで上杉鷹山のことを知ったそうです。 

「人を愛する者は、律法を全うするのである」(ローマ十三章八節)

律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。(ガラテヤ五章十四節)

もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。(ヤコブ二章八節)

愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。 愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。(第一ヨハネ四章七節)

上杉鷹山は、宝暦元(一七五一年)年、日向(宮崎県)高鍋藩主の二男として生まれ、 数え年十歳にして米沢藩主上杉重定の養子となりました。当時の米沢藩は、多額の借金をかかえ、現代の日本のような深刻な財政破綻におちいっていました。そのため、収入を増やそうと重税を課したので、逃亡する領民も多かったそうです。そんな状況の中、鷹山は十七歳で第九代米沢藩主となったのです。鷹山は藩の大改革を行い、以来五十五年にわたって、質素、倹約、産業の奨励、学問振興、助け合いの精神を大切に し、ついに財政を立て直し、家臣や領民皆が幸せに暮らせる場所を築いたのです。      ・・・つづく

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