御神は城なり

六月二八日 御神は城なり (二〇一二年六月 ひとしずく八五二)

マルチン・ルターの作った有名な賛美歌です。 

御神は城なり、盾なり、武器なり 

悪に勝たしむる 強き助けなり 

歳を経たる 暗きの長(おさ) 

秘術尽くし 攻め来るも 

などか恐るべき 

我らの力は 弱く頼りなし 

されど選ばれし 神の人ぞある 

そは誰ぞや 

万軍の主なる キリスト・イエス 

勝ちを得給う 唯一の神なり 

悪魔世に満ちて よしや脅すとも 

我らは恐れじ 神は味方なり 

この世の君 凄み顔に 

迫り来とも 何かはあらん 

勝ちは定まれり 

御神の言葉は 前に進むなり 

我らの内には 清き御霊あり 

この命も 宝も名も 子らも 

捧げ奉らん 神の国の為

※マルティン・ルター(一四八三年十一月十日アイスレーベン~一五四六年二月十八日)は宗教改革の創始者。聖アウグスチノ修道会に属するドイツ人神学教授として、ルターは人の姿となられた神の言葉としてのイエス・キリストにのみ従うことによって、信仰と思想において宗教改革という転換をもたらし、プロテスタント教会の源流を作った。

  彼が真理のために立ち上がる際には、おそらくたくさんの霊の戦いを通過したことだろうと思います。人は行いによらず、ただ信仰により恵みによってのみ救われるという宣言は、当時の堕落した宗教体制を震撼させました。それは、その悪魔が人の思いの中に植え付けた間違った考えという要塞に対する攻撃でした。

 彼が真理に立ち、それを主張することによって、彼は自分の身を危険に曝し、また社会的な地位をも失うことにもなりました。しかし、彼は自分の力弱くとも、神の力により頼んで強められ、また神の内に保護を見出したのです。この歌は、そうした彼の信仰宣言のようなものだと思います。 

彼のような、真理のために命をかけて立ち上がった多くの先人たち、また同朋がいることを、本当に感謝します。今の日本に命がけで福音を伝えてくださった人たち、また信仰のために立ち上がった人たちのお蔭で、聖書が日本語に訳され、真の神に出会った人たちが大勢いるのです。

 そのためには代価がかかりました。私たちはその代価によって得られた祝福に与っているのです。そして私たちもさらに、主の福音の真理に生き、また他の人にも分かち合うことによって、神様の御国を広げることができるのです。 真理や正義、また愛の行いが、必ずしも正しく評価されないこの世の中で、福音を伝えることは簡単なことではありません。

イエス様はそれを御存知で、次のように言われました。

邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう。(マルコ八章三八節)

からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。(マタイ十章二八節)

人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。その日には喜びおどれ。

見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。(ルカ六章二二、二三節)

イエス様の言葉を聞いていると、嘘や偽り、また間違ったことや力で押さえつけようとするあらゆることに遭遇しても、真理に立つこと、信仰を守ることの大切さを考えさせられます。そして私たちが真理の側に立つ時、主はマルチンルターと共にいて下さったように、私たち一人一人とも共にいてくださり「城」となり「盾」となり「武器」ともなってくださるのです。 

どうか真理に立つ時、主が、あらゆる迫害や抑圧から守り、弱い私たちの擁護者となって下さいますように。そして、今、苦しみにある人たちに救いを見させてくださいますように。

彼らを恐れてはならない。あなたがたの神、主があなたがたのために戦われるからである。(申命記三章二二節)

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