六月十八日偉大な日本の父たち (二〇一二年六月 ひとしずく八四七)
私たち家族が住む小さな村には、母が「しぇんしぇ」と呼ぶ偉い人たちが八人もいます。
学校の先生をしていた人たちで、私の母だけではなく、村中の人が彼らを尊敬しています。今では皆、歳をとってご老人です。彼らがどうして、村の人たちの尊敬を得ているのかは、私には何となくわかります。彼らは、ただ立派なことを教えるだけではなく、それらを行う人たちだからだと思います。学校で教師となって生徒を教えるだけではなく、学校の仕事が終わると、彼らは肥を担いだり、田畑を耕し、できた作物は周りの人によく与える人たちだからなのです。そして、周りの人たちの面倒を実によくみる人たちなのです。彼らは「親方」とも呼ばれています。
昨日は、父の日でしたが、今の日本があるのは、いつも他の人たちのために自分の人生を捧げた、こうした尊い多くの立派な父たちがいたからなのだと、考えさせられていました。 ある人が、ちょっと前の日本人について、他のどんな国民よりも日本人はクリスチャンのようだと言っているのを聞いたことがあります。その忍耐と正直さと、謙遜、親切さ、自己犠牲について、その人は言っていたのです。私も、尊い日本人の祖父たちのことを聞くと、そうした良い資質を失うことがないようにしたいと思いました。ちょうど今、友人から借りた「神に愛された日本」(久保有政著 レムナント出版)という本を読んでいます。その本には、かつての日本人たちが、どれほど犠牲的に、他の人や他の国の人たちにその誠意と愛を尽くしたかということが記されています。これはその一部です。
「内村鑑三先生の著書に『代表的日本人』という本があります。内村先生はその中で、西郷隆盛、上杉鷹山(ようざん)、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人という五人の生き方を取り上げています。…この本は、英語で書かれていました…それを読んだ人のひとりに、アメリカのジョ ン・F・ ケネディがいました。彼もクリスチャンです。ケネディは、あるとき「あなたが最も尊敬する政治家は誰ですか」と聞かれて、「上杉鷹山です」と答えました。
ケネディは、上杉鷹山の生き方というものを内村鑑三先生の著書を通して知ったのです。上杉鷹山は、米沢藩の藩主で江戸時代屈指の名君です。彼は藩主でありながら、偉ぶることがなく、自ら倹約を行い、自分も農民のようになって田畑を耕して働きました。また学問所を整えて、身分を問わず庶民に学問を学ばせたの です。こうした政策によって、破産寸前だった藩の財政が立て直され、藩は生き返りました。そのような偉大な政治家が、日本には様々な時代に現れたのです。」(「神に愛された日本」より抜粋) 偉大な父というと、人々の上に立って権力をふるっている人のようなイメージがありますが、実は、その正反対なのです。イエス様は、偉くなりたい、皆のかしらになりたいと思っていた弟子たちにこう言われました。
「・・・あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。(マタイ二〇章二五~二八節)
私ももう三十年も父親をしていますが、権威を家族に振るう者では なく、イエス様や、日本の偉大な先人たちのように、へりくだり、皆に仕える者としての良き見本になりたいと改めて思っています。これが、 父の日にあたっての私の祈りです。
あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしない で、むしろ、群れの模範となるべきである。そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。(第一ペテロ五章二節)