六月二日 真の友 (二〇一四年 ひとしずく一五六一)
以前、「痛みが自分の友となりました」と言って、何十年間、障害を抱え、その上 三・一一の被災にも遭った方のことを紹介しました。その方は、痛みが昼夜を問わずいつもあるために、夜もぐっすり眠ることができません。彼が、痛みを友と呼んでいたのは、その痛みから解放されることをあきらめて、痛みを抱えて毎日を過ごすことを受け入れたためであったと思います。
しかし、その「痛み」は永遠の友ではありません。確かに「痛み」は今はそばにいて、私たちに忍耐することを教え、人の痛みを理解することを教え、また、謙遜になることを教え、自分の弱さを悟らせてくれたりする友であるかもしれ ません。しかし、その友の本当の役割とは、私たちの永遠の友となることではなく、真の永遠の友であるイエス様へと導いてくれることなのです。
痛みには永遠の休息はありませんが、イエス様にはあります。鞭打たれ、十字架につけれた主は、痛みを知っておられ、また蘇りの力をもって痛みをぬぐい去ることのできるお方です。主は多くの人に奇跡的な癒しを与えてくださり、今もそれは変わりありません。そして、ある人たちは、人生の卒業を通して、完全なる癒しが与えられます。どちらにしてもクリスチャンである私たちにとっては、素晴らしい神の祝福なのです。
今、痛みを抱え苦しんでいる方に、主の癒しの香油が注がれますように。もう自分一人では歩むことも立っていることもできないと思う時、 イエス様の腕に寄りかかることができますように。あなたの真の友である主は、その腕にあなたを優しく抱え、他の誰にも満たすことのできない、愛と安らぎであなたを満たし、癒してくださることでしょう。
御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み 人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から 涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」(黙示録二一章三、四節)
わたしは主であって、あなたをいやすものである。(出エジプト十五章二六節)