主ご自身を

j
2023年6月1日

六月一日 主ご自身を (二〇一二年 六月 ひとしずく八三〇)

以下は、ABシンプソンの言葉からの抜粋です。とても深く、真理をついたものだと思いました。

私はイエスについて、そしてイエスについてのみ語りたいのです。よく「神のいやしが得られたらいいのですが、いやされないのです」と言う人がいます。時には「ついに手にしました」という人もいます。何を手に入れたのかというと、それは祝福だったり、理論だったり、癒しだったり、清めだったりします。けれども、あなたが本当に望んでいるのは祝福ではなく、癒しでもなく、清められることでも物でもなく、もっと良いものであることを私たちは教わったのであり、私はそれゆえに神に感謝します。それは「キリスト」であり、主ご自身なのです。

かつては祝福を求めたが

今は主を求める。

かつては感情によってだったが

今は御言葉による。

かつては賜物をほしがったが

今では与える方ご自身を望む。

かつてはいやしを追い求めたが

今では主ご自身のみを望む。

かつては辛い試練があったが

今ではまったき信頼がある。

かつては中途半端な救いだったが

今では完全に救われている。

かつては絶えずしがみついていたが

今では主がしっかりとつかんでいてくださる。

かつては常に漂っていたが

今では私の錨は降ろされている。

かつては忙しく計画していたが

今では信頼して祈っている。

かつては案じ心配していたが

今では主が思い煩いを負ってくださる。

かつては自分の望みだったが

今ではイエスの言われる通りをする。

かつては常に尋ねていたが

今では絶えることなく賛美している。

かつては私の働きだったが

それは主の働きとなる。

かつては主を利用しようとしていたが

今では主が私を使われる。

かつては力を欲しがっていたが

今では強いあの方を求める。

かつては自分のために労したが

今では主のためだけに。

かつてはイエスに望みを抱いたが

今では主は私のものだと知る。

かつては私の灯は消えんばかりだったが

今では明るく輝いている。

かつては死を待っていたが

いまでは主の再臨をたたえる。

私の望みは錨につながれ動くことなく

幕の内側に守られている

他の投稿もチェック

さまよえる群れ

ひとし ずく827-さまよえる群れ 以前、都内で大規模防災訓練が行われました。 震災に 遭ったと仮定して、一時避難所へ携帯メールを通して、避難するという訓練でした。しかし、その多くの人が臨時に設置された指示経路からの 情報をどうやって受け取ることができるか、わからなくて迷っていました。 ぞろぞ ろ歩いていく人の群れに「今、どこに向っているんですか?」とインタビューすると幾人もの人が「わからない」と答えていました。そして...

イエス様を受け入れるか否かの選択

ひとしずく819-イエス様を受け入れるか否かの選択 バイブルクラスに参加していた一人が、イエス様に出会って救われる前と、救われた後では、色々な事に対する見方が違うと話していました。たとえば、クリスチャン作家の映画や小説は、救われる前は、大変退屈なものだったけれども、救われてからは同じものでも、全く違った意味深いものになったということでした。 私もその通りだと思いながら「イエス様を受け入れるか否かの選択」がもたらす大きな違いについて考えたのでした。...

光を灯して

ひとしずく811 光を灯して <ある夜遅く山道を運転していた時のこと:> …山道にさしかかった時には、もう真っ暗になっていました。他に通る車もなく、その道には全く街灯がありません。山のカーブ道が続き、ある所は片側が谷になっている所もあり、しかもガードレールもない部分もあるので、一歩間違えたら、それこそ命取りです。 この暗闇の危険な道で、唯一頼りになるのは車のヘッドライトです。その光が、道の中央線や路側帯のラインやガードレールを照らし出してくれ、行くべき道を導いてくれるのです。...