教会

五月八日 教会 (二〇一二年五月 ひとしずく八一四)  以下はインターネットに載っていた「教会」について語っている内村鑑三氏の言葉です。「キリスト教の「教会」という言葉は、かの洗礼という言葉と共に、今日非常に世人の誤解を被(こうむ)っている。ある人はこれを普通一般の伽藍(がらん)で あるように説き、ある人はこれを神の礼拝堂と考えている。言い換えれば、彼等は「教会」そのものを直ちに壮麗な建物と結び付けるばかりで...

光を灯して

五月七日 光を灯して (二〇一二年五月 ひとしずく八一一)  一昨日、那須から秋田に帰ってきました。お昼過ぎに那須を出たので、秋田の山道にさしかかった時には、もう真っ暗になっていました。他に通る車もなく、その道には全く街灯がありません。山のカーブ道が続き、ある所は片側が谷になっている所もあり、しかもガードレールもない部分もあるので、一歩間違えたら、それこそ命取りです。 この暗闇の危険な道で、唯一頼りになるのは車のヘッドライトです。その光が、道の中央線や路側帯のラインやガードレールを照らし出してくれ、行くべき道を導いてくれるのです。...

私たちの望みは主にあり

五月六日 私たちの望みは主にあり (二〇一二年五月 ひとしずく八一〇)  信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ 持たないでこの世を去って行く。(第一テモテ六章六、七節) これは先日聖書を読んでいて、改めて心に響いた言葉です。 一般的に、私たちのこの地上での煩いの大半は、物(お金)を持っていること、持っていないこと、あるいはもっと多くなる...

子供のために

五月五日  子供のために (二〇一四年五月 ひとしずく一五三四)   子供の日に、テレビで子供たちについての番組を見ました。子供たちが自分たちだけで自由に遊べる「秘密基地」についてのものでした。  学校と塾での勉強の詰め込みで、ただでさえ遊ぶ時間のない子供たちのために、お母さんたちが立ち上がり、都会の公園の中に子供のための空間が造られました。子供たちによって造られるツリーハウスのようなものですが、初めは「子供たちが怪我したらどうする」...

マジックピクチャー

五月四日 マジックピクチャー (二〇一二年五月 ひとしずく八〇九)  私の子ども達が、視力回復のために使っているマジックピクチャーなるものを見せてくれたことがあります。それは絵と言っても、一見、何も意味をなさないように見えるモザイク式の模様の絵や、また普通の絵のものもあります。しかし、その絵を見つめながら、焦点をその絵より向こうの方に合わせ始めると、何と不思議なことに、さっきまで見えなかった全く別の絵が、そこから浮かび上がって見えたり、あるものは3Dのように、その絵が立体的に見えたりするのです。それは全く神秘の世界です。...