泉を守る

五月二五日 泉を守る (二〇一三年 ひとしずく一二五七)

昨日、北海道の苫小牧からフェリーで、八戸港に渡り帰ってきました。前日はお風呂に入っていなかったので、帰り途中に立ち寄ったコンビニで、近くにお風呂に入れる所はないかと尋ねたところ、少し行った先に小さな温泉宿があるということで、そこに行ってみることにしました。

 田んぼの中の道を通って、こんもりした森に入ってしばらくすると一軒の建物が見えてきました。普通の民家よりちょっと大きいくらいの建物で、一見、温泉宿とはわかりませんでしたが、看板を見て、そこだとわかりました

 中に入ってすぐの部屋は、食堂兼休憩室のようになっており、テレビがつけられていました。そのニュースにしばらく見入っていると、突然、声をかけられ、見ると、受付におばあさんがニコニコしながら立っていました。

 おばあさんと言っても、顔に皺がほとんどなく若く見えたのですが、後で話を聞いて分かったのですが、私の母と同じくらいの歳でした。

 彼女は、私が見ていたテレビのニュースのことについて尋ねましたが、大した話題でもなかったので、すぐに話は、そこの温泉宿のことになりました。彼女はとてもお話好きのようで、どうやって温泉宿ができたのか、事細かに色々と説明してくれました。

 とても興味深いお話で、私は彼女の話に引き込まれるように聞き入ることになりました。

 彼女が20歳で嫁いできたちょうどその頃、嫁ぎ先の家の持っている山からこの温泉が発見されたのだそうです。

 そして、お姑さんは、その温泉事業をすることにとても力を注がれ、掘立小屋を建て、ランプの灯でお客さんを迎えたそうです。

 当時のお客さんといえば、炭焼きをしていた人や、山で仕事をする人たちがほとんどで、お姑さんは、それらのお客さん達に奉仕するのが、自分たちの務めと思っていたようです。

 そのお姑さんの熱心な仕事ぶりに、このお嫁さんも、お姑さんを助けて、この温泉を守り抜こうと決意したのだそうです。

 といっても、仕事は、料理をしたりなどのお客さんの接待ばかりでなく、田畑を耕したり、五人の子供たちの世話もありました。旦那さんはお酒飲みで、子育ても宿の仕事も、あまり手伝うことなく、また家を火事で焼失してしまったりと、彼女の苦労は絶えなかったようです。しかし、彼女はひたすらこの温泉を、守り続けてきたのでした。

 彼女は、こう語りました。「私は一度も、商いをしていると思ったことはないんです。ただこの温泉を皆さんのために提供したいという思い一心でやってきました。子供たちにも助けてもらい、『お前たちにも苦労かけるけど、お前たちは森の二宮金次郎になりんさい』と言って、助けてもらいました。今、娘と息子がこの温泉を守ってくれています。」

  私が温泉から出てくると、そのおばあさんは、食堂でいなり寿司を作っていました。そして再び、色々と話し始めました。私は、朝食もまだだったので、その温泉の名物の丼料理を頂きました。300円と値段も良心的で、とてもおいしく頂きました。おばあさんは娘さんに、自家製の漬け物を私のために出すように言いました。そして「初めての方だから、コーヒーも出してあげて」と、飲み物までサービスしてくださったのでした。

 とても温かく有難いおもてなしでした。

 おばあさんの顔には本当に皺がほとんどなく驚きでしたが、それもこの温泉のお蔭であり、この温泉は歯痛でも何でも治ってしまうと言っていました。本当にこのお湯を誇りに思っているようでした。

「この大切な温泉を守るために、大変な時が何度もあったけれども、その度に天に任せて、今迄やってきました」と彼女は言いました。

 私は、おばあさんに、帰り際に「虹の約束」という被災地で配るために私たちが作ったトラクトを手渡し、自分が宣教師であることを告げてから、こう言いました。

「私も、おばさんと同じような仕事をしてます。心の泉を守るお仕事です。

おばさんは温泉をお客さんのために、ずっと守り続けてこられました。私も心の泉を守りたいと思って働いている者です。

泉から汚いものが出てくるといけませんね。心に苦い思いや憎しみといったものが出てくると、周りの人たちにも影響を及ぼします。でも、心が良いもので一杯になっているなら、そこから溢れるものも良いもので、人はそこからいやしなどの恩恵を受けることになります」と。

 彼女は、じっと私の目を見つめて、「そうだね。いいお話だ」と言いました。きっとその時、おばあさんの手がいなり寿司を握っていなければ、私の手を握るところだったと思いますが、彼女は握手の代わりに満面の笑みで、私を見送ってくれました。 

再び山間の道を車で走りながら、しばらくこのおばあさんのことを考えていました。一人の女性が、万難を排して、ひたすらこの温泉を守ってくれたお蔭で、この村の人たちは、その恩恵に与ってきたんだな・・・。私も今回、ここで旅の疲れを癒して頂き、その恩恵に与った一人となったんだ・・・。

温泉を提供したいという、人々に対するこのおばあさんのひたむきな思いは、愛とも言えるものだと思いました。

どうか私も、このおばあさんのように、人生の旅をしている人たちに、いやしを提供できるように、心の中の神の愛の泉を守るのを助けて下さいますように。

油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。(箴言四章二三節)

イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。(ヨハネ四章十三、十四節)

わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。(ヨハネ七章三八節)

おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。(マタイ十二章三四節後半)

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