五月十七日 主に近づけますように (二〇一二年五月 ひとしずく八二二)
友人が祈りを求めてこう言いました。
「昨日は私の誕生日でした。私は主に近づきたいんです。私のために手を置いて祈ってくれますか?心を清めたいんです。」と。そしてそのために祈りました。
こんな祈りを捧げられて、主はどれだけ嬉しいことだろうと思いました。なかなか、こうした祈りはできないものです。主に近づきたいということは、主に自分を差し出すこと、自分の人生、生活の中で、主が望んでおられないことはそぎ落としてもかまわない、主に自分を好きなように変えて頂いてかまいませんと言うことだと思います。
何と素晴らしい祈りなのでしょう?
私たちは、イエス様を信じてはいても、なかなか主に近づきたいと祈れる人は少ないのではないかと思います。というのも、もし主に近づいたなら、主に何を求められるのかと、自分が払わねばならない代価を思ってたじろいでしまうからです。
それで、主とはある程度の距離を保っている方が無難とばかり、病気の癒しや、自分たちの必要を求める祈りはするけれど、主に近づくことができるように、また主が望まれていることは何でもできるように、と祈れる勇気が出ないでいるのかもしれません。
主に近づくことには犠牲的な代価がかかることを、やはりみんな知っているのです。
しかし「神に近づく」ということは、何も犠牲ばかりではありません。もちろん犠牲は払わねばならないのですが、それを遥かに超えた、大いなる報酬が伴っているのです。
「神に近づきなさい」(ヤコブ四章八節)という聖句がありますが、その後にはこんな言葉が続いています。「そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち、手を洗い清めなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。」
神様が近づいてくださる。これはすごいことではないでしょうか?
そして神様に近づいて頂くためには、まず自分の罪を捨てることが必要です。「手を洗い清める」とは、神の望まれていないことに関わらないということだと思います。日本で言うなら「足を洗う」ということになるのでしょう。「二心の者が、心を清くする」ということは、どっち着かずの態度ではなく、潔く神様の言っておられること、望まれることだけに、自分は信じ従うという選択をすることです。
そしてこの聖句の次にはこうあります。
あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。(ヤコブ四章九、十節)
私たちは、低くされることなど、普通は望みはしません。かえって人は、もっと高められること、つまり褒められること、目立つこと、人に認められること、有名になることを望むものです。しかし、真に人を高くするのは主です。そして主は、自分を低くする者を高くされるのです。高ぶった者を高くするのは、悪魔です。どうしてでしょう?悪魔はその人を滅ぼそうとしているからです。人を高ぶらせ、神を忘れさせ、心に迷いを送って、滅びへと貶めるのが敵の策略です。
悪魔はその手を使って、イエス様が地上に来られた際も誘惑しました。世の権威を差し出し、その全てを与えるので、自分の配下になって神に敵対するようにと。
悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。(ルカ四章六~八節)
神に近づくためには、人からの誉れを捨てることは必須だと思います。それを捨てられなかった憐れな人々は聖書の中にも見られます。
役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。(ヨハネ十二章四二、四三節)
互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。(ヨハネ五章四四節)
私たちは何を恐れているのでしょう?主の愛の素晴らしさに比べたら、自分が払う犠牲も代価も、取るに足らないものなのに・・・。主に近づくなら、それがわかります。主の愛に包まれたら、もう自分が払う犠牲も代価もどうでもよくなります。ただ、主のそばにいたい、主のためなら何でもしたい。主への愛のためだけに生きたい、そう心から思える人生、これこそが、神に創られた者としての最高の幸せなのではないでしょうか?
「神に近づけますように」
日々、心からこの祈りを捧げることができますように・・・。