教会

五月八日 教会 (二〇一二年五月 ひとしずく八一四)

 以下はインターネットに載っていた「教会」について語っている内村鑑三氏の言葉です。

「キリスト教の「教会」という言葉は、かの洗礼という言葉と共に、今日非常に世人の誤解を被(こうむ)っている。ある人はこれを普通一般の伽藍(がらん)で あるように説き、ある人はこれを神の礼拝堂と考えている。言い換えれば、彼等は「教会」そのものを直ちに壮麗な建物と結び付けるばかりで あるように見える。オルガンがあり、ピアノがあり、説教壇があって、設備が立派に整頓した家屋、これは必ずしも神に礼拝を奉げるべき所ではないことは、 真に聖書を読んだ者なら、とっくに了解していることであろうと信じる。
 救い主キリストは、人のいない山中や荒野で祈祷を捧げられた。怒涛が岸を噛む海浜や、山岳の絶頂、貧児が飢えに泣く崩れ屋や病者の枕辺、これらはニコライ会堂にも優って、私達が神と相親しむべき屈強の場所である。
 説いてここに至れば、私は昔、北海道の深林で、憂愁を神に訴えたことを念頭に思い浮かべざるを得ない。天空は快活として、百樹千草は茂り、百千鳥(ももちどり)がさえずる赤裸々の宇宙に対しては、私は思わず感謝の声を放って、満腹の熱情を披歴せざるを得ない。
 ・・・「教会」とは、元来エクレシア(ekklesia)という ギリシャ語から来た言葉である。これを分析してみれば、eはout(外)、kleはcall(呼ぶ)で、 「外へ呼び出される」という意味を含んでいる。即ち、エクレシアとは神に呼び出され、選抜された人の全体を称する言葉であって、そのような人々は、たとえ 森林中で祈ろうが、山の上で礼拝しようが、空の鳥と共に讃美の歌を歌おうが、その人自身が即ち立派な「教会」である。ゆえに「教会」、エクレシアというものは、選出された信者の内に存立しているのであって、何も金銀をちりばめ、五彩を飾った建築物の外観にあるのではない。
 パウロは、テサロニケやコリントに「教会」を立てた。しかし貧乏な彼は、「教会」の建築者ではなかった。従って彼は、建物を大切にせよとは教えなかったに相違ない・・・」
(「教会について」明治35年)

 軽井沢には内村鑑三氏の記念館が石の教会として地下に造られています。石の教会は、他のどんな教会堂よりも芸術的で、立派で、今は、観光の名所となり、また結婚式場として有名になっています。もちろん、これは無教会主義の内村鑑三氏が造られたものではありません。私は時々、内村鑑三氏が、 自分を記念して造られたこの石の教会を見たら、どう思うだろう?と思います。造る側の気持ちはいろいろあったのだと思いますが、これでは彼の本当に伝えたかったことが、伝えられなくなってしまっているのではないかと、残念な気持ちになってしまいます。

 もう一つ、教会について語られている「ちいろば先生」として知られている榎本保郎氏の言葉を見てみたいと思います。

「教会の建物なんかはつぶれてもかまわない。だれでもそれは建てることができる。建てることのできないものは「内なる教会」である。私たち信徒もそういう意味でお互いに自分を大事にしなければならない。自分を救い、自分の信仰をおろそかにしてはならない。」(「新約聖書一日 一章」主婦の友 社)

 時に私たちは、自分は教会に行っていないので、正式なクリスチャンとは言えないのではないか、また教会で祈らないなら神様に聞き入れても らえないのではないか、と不安に思ってしまうことがあるかもしれません。しかし、内村鑑三氏や榎本保郎氏が語っているように、また何より聖書にあるように、神様の霊が宿っている場所は、私たちの魂です。神様を求め、慕い、そして聞き従うことこそ、真の礼拝の態度であり、教会の建物といった形や場所に限定 されるものではないのです。

毎日の生活の中で、イエス様に小さな祈りを捧げ続けているあなた自身が、神の宮であり立派な教会なのです。  どうか今日もその「内なる教会」を大切にして生きられますように。
 
 いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。(使徒行伝七章四八節)

 あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。(第一コリント三章一六節)

 …わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。・・・まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。 父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。(ヨハネ4:21-24)

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