マジックピクチャー

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2023年5月4日

五月四日 マジックピクチャー (二〇一二年五月 ひとしずく八〇九)

 私の子ども達が、視力回復のために使っているマジックピクチャーなるものを見せてくれたことがあります。それは絵と言っても、一見、何も意味をなさないように見えるモザイク式の模様の絵や、また普通の絵のものもあります。しかし、その絵を見つめながら、焦点をその絵より向こうの方に合わせ始めると、何と不思議なことに、さっきまで見えなかった全く別の絵が、そこから浮かび上がって見えたり、あるものは3Dのように、その絵が立体的に見えたりするのです。それは全く神秘の世界です。

  私は「見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」とは、このようなものに似ていると思います。

 肉の目の前に広がる状景は、複雑な問題が絡み合っていて、モザイクの絵のように見える時があります。そして、どのようにしてそれらの問題に取り組んだらいいかもわからない、手のつけようのない状態に思えるのです。

 しかし、焦点を目の前の問題の幻像にではなく、その先の霊の現像に合せてみるのです。すると主は、それまで見えなかった解決策を、そこに浮かび上がらせはっきりと見せてくださるでしょう。

そこには、主の御手が指し示している「ハガルの井戸」があるのです。アブラハムの元を離れたハガルが、その子を連れて荒野をさまよい、ついに力尽き、子に飲ませる水もなく、ただ死を願うばかりとなった時、主は彼女を助け出されました。どのように助け出されたのかというと、聖書にはこうあります。

神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸の水のあるのを見た。彼女は行って、皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。(創世記二一章一九節)

  「神がハガルの目を開かれた」というところに注目してください。主は彼女の目を開くことによって、それまでそこにあったけれども見えなかった井戸を見える状態にされたのです。私たちの抱える問題も同じだと思います。主が示しておられるものを見ることができるように、まずは主に、霊の目を開いて頂く必要があるのです。

 また聖書からもう一つ、イエス様が十字架の死を遂げられた後の場面を見てみたいと思います。

二人の女性が、葬られたイエス様のために香料を持ってお墓に行きました。しかし、墓にはイエス様の体が見当たらず、途方にくれていると、天使が彼らにこう告げました。

「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。その方はここにはおられない。よみがえられたのだ。」 (ルカ二四章五節後半~六節前半)

  イエス様は御自分が十字架で死んだあと、三日目に蘇ることを弟子たちに告げられていました。しかし彼らが見ていたものとは、その素晴らしい主の御言葉の約束ではなく、イエス様の死んだ体だったのです。

  どうでしょう?私たちもこのように、死んだイエス様を墓の中に捜そうとしているようなことをしていないでしょうか?生きているイエス様がすぐ私たちの前に、そして心の中に、微笑んで解決策を差し出しているというのに・・・。また尽きない命の水が湧き出る井戸であるイエス様が、招いて「重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。・・・休ませてあげよう」と言っておられるのに・・・。(マタイ十一章二八節)

私たちの人生に起こる問題は、皆、マジックピクチャーです。それをそのまま見つめていても、何の意味も成しません。どうか、私たちが「聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない」(マタイ十三章十四節)という者にならないように、視線の焦点をその幻像の向こうにある主の約束や思いに合わせて、そこに浮かびあがってくる解決策と導きと希望という現像を見出すことができますように。

  わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。それで、わたしたちは心強い。(第二コリント五章七、八節)

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