正しい人には災いが多い

四月二八日 正しい人には災いが多い (ひとしずく七九五)


 「正しい者には災いが多い」(詩篇三四篇一九節)という聖書の言葉は、実際その通りだと思います。しかしそれはなぜでしょう?これは、その答えをわかりやすく説明してくれているお話です。

 アメリカ南部に、金持ちの綿花地主ジャクソンの下で長年働いていたサムという奴隷がいました。サムは神を愛し、利己的な主人にも仕事にも忠実で、同じ奴隷仲間にも親切であったことから、誰からも信頼されていました。
 ある時、サムが主人の朝食の給仕をしていると、主人がサムにこう尋ねてきました。「サム、前から不思議に思っていたのだが、お前はクリスチャンで、神を愛し、人によくしてやっているのに、どうしてお前の人生はこうも問題ばかり起こるのだ? 私は神など信じていないが、お前ほど問題は抱えていないぞ。それはどうしてだい?」
 すぐに主人に答えることができなかったサムは「御主人様、その質問にお答えするのに、 少し時間をください」と言いました。
 そしてある日のこと、サムは主人の鴨狩りに同行しました。主人が撃ち落とした鴨を、サムが拾って袋に集めるのです。主人は鴨を何羽か撃ち落とすと、こう叫びました。「さあ、早くつかまえろ!死んだやつは放っておけ!後で拾えばいい。まず生きている方を、生きているやつを先につかまえるんだ!」
 その時サムは、いつか主人に尋ねられた質問の答えが閃いたのでした。そして主人のもとに、鴨の入った袋を手渡しに行くと、サムはこう言ったのでした。
 「御主人様、この前の質問の答えがわかりました。御主人様は死んでる鴨なんです。そして私が生きている方なんですよ!悪魔は、御主人さまのことはちっとも怖がってはいないけれど、私が神に従って善いことをしようとすると、悪魔がそれを何とか止めようと、いろいろ問題を起こそうとするんです!」

 最近、素晴らしいアーティストに遭わせて頂く機会がありました。
 彼は三ヶ月前、大変な事故に遭われました。他の車がぶつかってきて正面衝突し、車は大破、自分はあばら骨を骨折。また顔面もひどく打って、顔の神経に支障があるということでした。
 彼は、三・一一の被災者の方々の励ましのために、子供たちのアート・フェステバル開催の責任者となっていました。事故は、その移動の際に起こったものでした。

彼は、はじめ「神様はどこにいるのか?」とさえ思い、またぶつかってきた相手に対しても責める気持ちが湧いてきたそうです。その気持ちはよくわかります。せっかく善いことをしようとしているのに、なぜ、こんな事故に遭わなければならないのかと。

しかし、彼は「こんな気持ちでいては、自分を苦しめるだけだ」ということに気づき、事故を起こした相手ともまだいろいろ問題が残っていましたが、許して忘れようと決意したそうです。
 彼の作品を見させて頂きましたがとても素晴らしく、やはり美しい作品は美しい心から生まれるものだと納得させられました。
 天地創造の「光あれ」など、聖書のメッセージからの作品も幾つかありました。どれも皆、素晴らしい作品ばかりで、とても感動しました。
 彼が、ボランティアしようとしていた矢先にそのような事故に遭遇したのは、それだけ悪魔にとって彼のしようとしていたことが脅威であったからなのだと私は思います。私たちは主に従って、主の御心を行っているのだから問題には遭遇しない、と思いがちですが、そういうことはありません。かえって、そうした時にこそ、悪魔はそれを阻止しようと、必死に猛攻撃をかけてきて、様々なハプニングや大変な問題を引き起こそうとするものです。

しかし、私たちが悪魔の策略を見抜き、その脅しにも屈せず、神様の使命に立つ、という決意をして悪魔に立ち向かう時、悪魔は必ず逃げ去ります。

怖れることなどちっともありません。悪魔の力はイエス様の力には、到底及ばないのですから。
 悪魔の攻撃や、問題がやってくるということは逆に言えば「生きている」ことの証拠です。しかし、問題を私たちは神の力によって乗り越えていくことができますし、それによって信仰は成長して行きます。

イエス様も、この世での任務を始めようとされ、聖霊が下った時、すぐに悪魔の攻撃に遭いました。また宣教している間も、彼を殺そうと狙っている者たちにつきまとわれました。最後まで、イエス様の使命を阻止しようと悪魔は何度も試みたのです。

しかし、悪魔と問題を怖れることはありません。結局、彼らはイエス様を殺すことはできませんでした。イエス様は御自分の意思で十字架で命を捧げられたのです。

それらは、神様が設定してくださった舞台の一要素にすぎません。悪役でさえも、ドラマには役目があるのです。闇があるのは、光が輝くためです。私たちには神の子としての、闇を照らすという役割があるのです。
 主に従ったのに、どうしてこんな問題が・・・と思うようなことに遭遇したなら、思い違いをしないでください。それは神の御心を行っているからなのでしょう。あなたが最後まで使命を果たすのを阻止しようと悪魔が躍起になっているのです。怖れているのは悪魔の方です。彼の闇の王国は、光の子であるあなたによって脅かされているのです。

闇の王の業は、私たちが光をただ枡の下に隠さないなら、簡単に打ち破ることができます。だから、神の御心を行っているのに、災いや問題が起こる時には、このことを思い出してください。

自分は生きている方なのであり、神の御心を行っているがゆえに悪魔を震え上がらせているのだということを。そして、たとえ災いや問題に遭遇しても、主はすべてその中から私たちを助け出してくださるのだということを。

正しい者には災いが多い。しかし、主はすべてその中から彼を助けだされる。(詩篇三四篇一六節)

  神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがた  から逃げ去るであろう。(ヤコブ四章七節)

  光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ一章五節)

  「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
  また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ五章一四~一六節)

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