四月十四日 とりなしの祈り (ひとしずく一一二七)
これは第二次世界大戦の時、東京空爆に加わり打ち落とされたひとりの軍人、ヤコブ・ディシーザーのお母さん、フルダ・アンドラス夫人に神がどのように重荷を与えて、祈りに導いてくださったかのお話です。
彼女は、息子がどこに配属されたのか知りませんでした。彼女はその時のことをこう証言しています。「私は、夜中に突然目が覚めて、何だか下へ下へと落ちていくような、不思議な感じに襲われました。それは私の魂に重くのしかかった恐ろしい重荷でした。私は苦しみのあまり、神に祈り、叫びました。するとしばらくして、その重荷は突如としてなくなりました」。
その後彼女は、息子が日本で撃ち落とされ、捕虜になっていることを知らされました。息子が撃ち落とされパラシュートで飛行機から脱出したその時刻を調べると、それは神が自分に警告を与えて祈りに導いた時刻と同じでした。
その後も神は、彼女に息子の救いのために祈るという大きな重荷を与えられました。彼女は必死になって祈り、勝利を得ました。その時、主は彼女にイザヤ書五十五章九節の約束を思い出させて下さいました。
天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。(イザヤ五五章九節)
そしてちょうどその時、神は捕虜収容所にいるヤコブに語りかけて下さり、彼は自分の生涯を主に捧げる決心をしていたのでした。
しばらくすると、これらの捕虜たちが処刑されようとしているというニュースが伝えられました。それを聞いたお母さんは、居ても立っても居られなくなり、ひたすら神に祈りました。すると神が「天の使いが彼を守っている」と言われたように思われ、心に平安が戻ってきました。そして捕らえられた四人のうち三人は処刑されましたが、ヤコブは奇跡的に助かったのでした。しかも、神は彼の命を助けたばかりでなく、彼を宣教師の道へと導かれたのです。
戦後、ヤコブ・ディシーザーは敵国であった日本に戻り、宣教師として神に大いに用いられたのでした。
祈りは素晴らしいです。このような祈りの力を、今こそ私たちは必要としているのではないでしょうか?祈りは霊の戦いにおける武器でもあります。私たちに与えられている「祈る」という特権を、もっと行使しようではありませんか?