四月十日 必ず春は来る (二〇一二年四月 ひとしずく七七五)
北日本は冬に逆戻りの寒波に襲われています。
ここ秋田の雪も、ひと月ほど前に天気の良い日が続き解け始めていたので、春ももうすぐだと期待に胸ふくらませていたのですが、また春が遠のいてしまったようで、半ばがっかりした気持ちで、なかなか来ぬ春を首を長くして待ちわびています。
雪は未だ度々降り、まだ畑には五十センチ以上の雪が積もっていて、多い所では一メートルもあります。それに加え数日前には大型台風並みの強い風が吹き荒れ、猛吹雪・・・。まるで春に抵抗する力でも働いているように思えてしまいます。
しかし、こんな状況の中でもこれだけは言えるのです。
この冬はいつまでも続くわけではなく、春は必ずやって来るのだと。
私たちは、人生においても、こんなふうに忍耐を試される時がよくあると思います。癒しがなかなかやってこないように思える時、また大変な状況がいつまでも続くように見える時など。
特に、私たちを取り巻く世界の状況を見ると、いつまで、どこまでこの状況は下降線をたどるのかと思えてしまいます。原発、経済、環境、紛争など、次から次へと問題が湧くように起きてきます。
しかし冬が必ず過ぎ去るように、確かにこの世も過ぎ去るのです。主はそう言っておられます。この世の悪夢から私たちは目覚める時が来るのです。
やがて新しい時代がやってきます。聖書の預言によると、その直前には未だかつてないほどの大艱難期が訪れますが、私たちが耐えられなくなる前に、そしてあまりにもこの世がめちゃくちゃになってどうしようもなくなってしまう前に、主は私たちを救い出すためにやってきて下さいます。
もしその期間(大艱難期)が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。 (マタイ 二四章二二節)
<主がやってきて救ってくださり、介入してくださるということを知らない> 人々は、「世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。」(ルカ二一章二六節)。
どんなに大変な状況になろうとも、主は、私たちを救い出して下さいます。 天に連れて行ってくださるか、あるいは地球があまりも破壊されてしまう前に主が再臨してくださるのです。
この主の御言葉の真実を知り、信頼している人は、艱難期にも平安を持っていることができることでしょう。
そうです。どんなにこの悪夢のような時代が長く続くように思えても、新しい至福千年の時代が到来するのは間近であって、春が必ず来るように、それは確実にやってくるのです。
この主の約束を、希望を持って待ち望もうではありませんか。
彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。(黙示録二〇章六節)
主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。(詩篇二七篇一四節)
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない…。」 (ヘブル一〇章三五~三七節)