今も生きている神、イエス・キリスト パート1

三月二六日 今も生きている神、イエス・キリスト パート1 (二〇一三年 ひとしずく一二三四)  入院中の母親の心臓に問題があるということを知って、「では、祈って主に奇跡を求めよう」と弟に言ったところ、「僕は奇跡を信じないんだ」という答えが返ってきました。...

神は愛である

三月二五日 神は愛である (二〇一三年 ひとしずく一二三二)  「神は愛である」(第一ヨハネ四章八節) これは聖書に書かれている言葉です。クリスチャンであるなら誰もがよく知っており、また頻繁に引用する言葉でもあります。しかし、本当にこの意味がわかるようになったのは、神が、実は、三つの人格を持っておられる方だとわかってからです。  ...

天にのぼっても陰府にくだっても パート2

 三月二四日 天にのぼっても陰府にくだっても パート2 <二〇一三年三月 ひとしずく一一〇八 (小山晃佑著「眠れない夜」の「天にのぼっても陰府にくだっても」からの引用の続き> 天にいっても陰府に行っても神に出会うということは、よろこびと驚きのメッセージ。天に行ったら天があったというのなら何も騒ぐ必要はない。ところがこの天に行ったら天があったということがまた大切なことなのである。...

イエス様が地面に何か書かれた時

三月二三日 イエス様が地面に何か書かれた時 (ひとしずく一一〇六) これは太田俊雄著の「矢と歌」にあるお話の一部を、短くまとめたものです。 ・・・・・・・・・・・・ 田村少年は友人にすき焼きを食べにこないかと誘われ、...

宗教、宗派を超えた愛をもって

三月二二日 宗教、宗派を超えた愛をもって (二〇一三年三月 ひとしずく一一〇五)  何年も前のことになりますが、本田哲郎という神父が、国際宗教会議のパネリストとして、次のように語られていました。 「イエス・キリストを信じることとキリスト教を信じることは違います。イエスは名誉を求めることも、また会員の数を増やすことに心を費やすようにとも言われませんでした」 本田哲朗神父はカトリックの高い地位にいた人でしたが、当時ホームレスの人たちと共に座り込みをしたりしていました。...