主の保護の力

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2023年1月18日

「ひとしずく」ーーひと昔編

 昨日はバイブルクラスの後に、Nさん宅に招かれて、Nさんの今までの経験についてお話を聞かせて頂きました。
「自分が今ここに生きているのは、偶然とかじゃないってことは、はっきりと わかりますよ。イエス様が私を今まで生かして下さってこられた、神様の意志であるということは確信しています」とNさんが、彼の人生における幾度もの危機にあって救われた出来事を分け合ってくださった 後、そのお話をそう締めくくりました。
 私も、生かされている、保護されているという彼の結論に心から同意できました。 Nさんは、三十五年もの間、プラント工事の監督を務めてきた方で す。百メートルもある煙突を建てたり、造船に関わったり、とにかく大きな機械や設備を据える際の工事の監督というのは、多くの危険を 伴う仕事であったと話してくれました。 彼は日本中のあちこちの仕事に一人、現場監督として派遣され、ある時は、海外にも派遣されたそうです。そして時には、もう生きて帰れないかもしれないと覚悟を決めたこともあったそうです。幾度も辞めようと思ったこともありましたが、やはり、一つの仕事を終えて、帰ってくると、感謝され、また自分のために用意されているもう一つの仕事を任されると、途中で止めるわけにはいかないというような状態が続いたのだそうです。 
若い時からイエス様を信じていたNさんは、何度も教会に行きたいと思いながらも、 出張ばかりでなかなか行くことができなかったと言います。彼は、自分の苦労と責任の重い仕事を振り返って、教会にはあまり思うほど行けず、また聖書も望むほど読めなかったけれども、イエス様は確かに自分のすぐそばにいてくれて、また危機一髪の事態を三度も救い出してくれた、と次のような彼の経験談を分け合ってくれました。

 大きな回転するドラムの中を洗浄していた時のこと、ベルトコンベアーで洗い落とされたものを外に吐き出す機械を設置していました。全てが終わって試運転の時を迎えたそうです。ところが、ある作業員が彼のもとにやってきて、変な音がすると報告したので、彼はその機械の中に入って調べていたところ、なんと機械のスイッチがどういうわけか入ってしまったそうです。その機械のメインスイッチは機械から100メートルも離れたところにありました。恐ろしいことが起こりました。つかまっていたドラムの中の刃がゆっくり回転し始めたかと思うと、今度は足を置いているべルト コンベアーが動きだし、外に吐き出す方向にではなく、反対の壁に向って勢い良く動き始めたのです。
もう少しで、ベルトコンベアの動く方向の壁に叩き着けられるところでしたが、その寸前で機械が止まりました。遠くのスイッチのそばにいた人が気づいて、間一髪で止めてくれたのだそうです。あと一秒でも 遅かったら、大変な事故になっていただろうということです。
 また彼が製鉄所のある部屋で、そこの製鉄所の人と設計図を見ながら立っていた時のことです。Nさんは気づかなかったのですが、その床にはゴミがたまっているばかりか足場の床は腐りか けていて、突然、その床が抜けて、彼はどすんと下に落ちてしまいました。そして落ちる時、その下に見たのは、赤くドロドロに燃えている溶鉱炉だったのです。
しかしNさ んは、床が抜けても、一本の鉄の梁によって危機一髪、溶鉱炉に落ちずに済みました。Nさんはその鉄の梁にまたがるような形で、助かったのです。十センチでもずれたところに立っていたら、この梁の上ではなく、間違いなく溶鉱炉に落ちていたのです。
 また船の中での事故もありました。彼は六メートル以上もある船倉の床に落ちてしまったのです。しかし、その時もやはり彼は奇跡的に守られました。床板は八十センチ間隔の鉄骨の床梁で支えられていましたが、彼はその床梁と床梁のちょうど真ん中に落ちて怪我がなかったのです。もし鉄材の床梁がある部分に落ちていたら、大けがをしていたことでしょう。
 このように、彼はあと一秒で、あと十センチで、という危機一髪の所で助かった体験をして、これは、偶然に、あるいは運よく生き延びたのではなく、主イエス様が、その偉大なる力によって自分を守り保護して下さったから・・・神様の御意思と力によって自分は生かされたのだ、と確信しているので す。
 Nさんの証しを通して、神様の保護の力強さに改めて感動させられました。それぞれがイエス様から使わされている場所は異なります。ある人たちは、とても危険な場所、環境の厳しい場所に使わされている場合もあることと思います。しかし、 イエス様は、私たちから決して離れることなく、いつもそばにいて守り、保護し、救って下さいます。そしてそれらのことを通して主の深い愛 を証しして下さるのです。感謝です。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、 あなたのつえはわたしを慰めます。あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふ れます。わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。(詩篇二三篇四~六節)

いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は主に言うであろう、『わが避け所、わが城、わが信頼しま つるわが神』と。主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。たとい千人はあなたのかた わらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。あなた は主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。これは主があなたのために天使たちに命じ て、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。
彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。彼がわたしを呼ぶ とき、わたしは彼 に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。(詩 篇九一篇)

とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。(申命記三三章二七節)

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