奇跡による癒し

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2023年1月11日

「ひとしずく」ーーひと昔編

イエスは、彼らとともに山を下り、平らな所にお立ちになったが、多く の弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海べから来た大ぜいの民衆がそこにいた。
イエスの教えを聞き、また病気を直していただくために来た人々である。また、汚れた霊に悩まされていた人たちもいやされた。
群衆のだれもが何とかしてイエスにさわろうとしていた。大きな力がイエスから出て、すべての人をいやしたからである。(ルカ六章十七~19節)

 先日のバイブルクラスの時、友人が教えてくれたニューヨークで産婦人科医をされているクリスチャンの金山医師の証しの動画を見ました。彼の働きを通して神さまがどのように人々を癒して下さっているかの奇跡の話です。
 彼はイエス様を見出した時、神学校に行って牧師にでもなろうと思ったのですが、聖霊により医師になるように導かれました。その分野におい て、主の業を行うように導かれたのだそうです。そして、彼はその聖霊の導きとその力によって、多くの患者さんの病を奇跡的に癒す医師となり、主の栄光を 表しているのです。

 彼が大学を卒業してメイヨークリニックという所で、四年に亘る厳しい訓練を受けていた時の話です。彼は悪魔の霊感を受けた教授に、医者になる道を阻まれようとしていました。そしてある時、この教授から、集中治療室にいた交通事故で全身やけどを負って、心不全、肝不全、腎不全になり、お腹は破れ、もう腸が見えてしまっている全く助かる見込みがなさそうな患者の主治医になるよう言われました。それも、もし治すことができないな ら、メイヨークリニックにふさわしくないから、日本に帰りなさいと言われたのです。メイヨークリニックの優秀な医者が十何人も治療に当 たってもどうすることもできなかった患者で、彼女はあと一週間ほどで死んでしまうような状態でした。彼は必死に祈るしかありませんでした。「イエスの名によって命じる。いやされよ!」と。しかし、その祈りは壁に当たって天に届かない祈りに感じ られたそうです。 そんな彼に聖霊がこう言われました。断食をし、祈りのとりなし手を集めて祈りなさいと。彼は聖霊に言われた通りにし、約ひと月祈り続けました。そしてある夜、とても印象的な夢を見、癒しが成就されることを確信し、患者のところに行って「イエスの御名によっていやされよ!」と祈ったところ、 全ての臓器が正常に戻り、腸が見えていたお腹の皮膚も奇跡的に再生され、癒されたのでした。それから一週間ほどでその患者は退院したということです。しかし、彼を追い出そうとしていた教授は、今度は彼を肝臓癌の末期患者の主治医にしたのです。 命が救えなかったら日本に帰りなさいと言って。彼はその時も必死に祈りました。すると、イエス様の手が天から降りて来て、その指が大きさ 3センチ程の患者の癌の部分に触れるというビジョンを見たのです。そして彼は、患者が癒されたことを確信し、すぐにCTスキャンでチェックすると、その癌は消えてなくなっていたのです。またもや彼の勝利、 いえ、主の勝利でした。
こうして彼は、数々の主の奇跡の癒しを行いつつ、メイヨークリニックでの訓練を無事終了し、医学部を卒業することができたのでした。その後、彼は聖霊の導き により、ニューヨークに産婦人科の病院を開きました。全てクリスチャンというチームで、手術前には皆で思いを一つにして祈り、聖霊の導き によって手術を行 い、今も主の奇跡の癒しを行い続けているのです。
 
この医師がどうして、それほどにも主によって力強く用いられているのか、彼の話からわかるような気がしました。彼を見ていると、主との強いつながりと主に対する信仰と 信頼が伺えます。
 彼は、祈りの大切さについて語っています。彼のお母さんは、毎朝三時か四時ころ、聖霊が自分の名前を呼ぶ声によって起こされ、祈りに導かれるのだそうです。十分くらい祈っただろうか、と思って時計を見ると五時間も経っていたということもあるそうです。また彼の仕事を手伝ってくれている人、この女性は彼と出会ってからイエス様を受け入れた人ですが、昼間働き、夜は子供さんや旦那さんの世話をし、やっと十二時になってから祈りの時間を持ち、夜中の三時、ある時は朝まで祈り続けることもあり、彼女は寝る時間を削ってでも祈りたいのだそうです。もちろん彼自身も祈りの時間を大切にしている事は言うまでもありません。
彼は、医学の分野を牛耳っている悪霊を叱責する必要があること、またそのために多くの人々によるとりなしの祈りの内に戦うことを熱心に語っていました。彼は手術中、病んでいる所にメスをいれると、そこから煙が上がるのを見るそうですが、それは悪霊が体から抜ける瞬間であるとのことです。その他にも、彼は聖霊 の声にいつも耳を傾けていること、そしてそれを聞き、忠実に従うことの大切さについても語っていました。
彼は医者と言う職業に就いていますが、それ以上にクリスチャンとして、つまり、イエス・キリストの証人として生きているのです。
 彼の生き方から、主に仕えるということは、必ずしも、牧師や宣教師といった肩書きが必要なわけではないことがわかります。
 私達には、それぞれに主から与えられた召しがあり、その使わされているところにおける主への信仰がいつも試されているのだと思います。
 癒しに限らず、「イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わることはない」の聖句を、今使わされている場所で、あらゆる状況において証しして生きていくこと、それがクリスチャンの人生の目的であり、神が望まれていることなのだと思います。
 
この金山医師の証しの動画を見て、バイブルクラスに来ていた皆が感動し霊感されました。しかし、それと同時に、自分たちは宣教師として、またクリスチャンと して、今まであふれるほどに与えられた霊的な知識や賜物を十分に用いていないことを反省しました。そして神の栄光のために、自分に与えられた賜物、知識、 特権などをもっとフルに使うことができるよう、また主をもっと愛し祈りの生活ができるよう、悔い改めと再生のために思いを一つにして、皆で祈りしました。

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