光を灯して

五月七日 光を灯して (二〇一二年五月 ひとしずく八一一)  一昨日、那須から秋田に帰ってきました。お昼過ぎに那須を出たので、秋田の山道にさしかかった時には、もう真っ暗になっていました。他に通る車もなく、その道には全く街灯がありません。山のカーブ道が続き、ある所は片側が谷になっている所もあり、しかもガードレールもない部分もあるので、一歩間違えたら、それこそ命取りです。 この暗闇の危険な道で、唯一頼りになるのは車のヘッドライトです。その光が、道の中央線や路側帯のラインやガードレールを照らし出してくれ、行くべき道を導いてくれるのです。...

私たちの望みは主にあり

五月六日 私たちの望みは主にあり (二〇一二年五月 ひとしずく八一〇)  信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ 持たないでこの世を去って行く。(第一テモテ六章六、七節) これは先日聖書を読んでいて、改めて心に響いた言葉です。 一般的に、私たちのこの地上での煩いの大半は、物(お金)を持っていること、持っていないこと、あるいはもっと多くなる...

子供のために

五月五日  子供のために (二〇一四年五月 ひとしずく一五三四)   子供の日に、テレビで子供たちについての番組を見ました。子供たちが自分たちだけで自由に遊べる「秘密基地」についてのものでした。  学校と塾での勉強の詰め込みで、ただでさえ遊ぶ時間のない子供たちのために、お母さんたちが立ち上がり、都会の公園の中に子供のための空間が造られました。子供たちによって造られるツリーハウスのようなものですが、初めは「子供たちが怪我したらどうする」...

マジックピクチャー

五月四日 マジックピクチャー (二〇一二年五月 ひとしずく八〇九)  私の子ども達が、視力回復のために使っているマジックピクチャーなるものを見せてくれたことがあります。それは絵と言っても、一見、何も意味をなさないように見えるモザイク式の模様の絵や、また普通の絵のものもあります。しかし、その絵を見つめながら、焦点をその絵より向こうの方に合わせ始めると、何と不思議なことに、さっきまで見えなかった全く別の絵が、そこから浮かび上がって見えたり、あるものは3Dのように、その絵が立体的に見えたりするのです。それは全く神秘の世界です。...

「あなたの怒るのは良いことであろうか?」(ヨナ書)

五月二日 「あなたの怒るのは良いことであろうか?」(ヨナ書)(二〇一二年五月 ひとしずく八〇四)  ヨナは、ニネベの町が悔い改めなければ、その邪悪さのゆえに滅びてしまうという神様からのメッセージを託された預言者でした。しかし、ヨナは神様に不従順だったので、海で大きな魚に呑み込まれてしまうのでした。そして結局三日三晩、魚のお腹で過ごしたヨナは悔い改め、神に従う決心をして魚に陸に吐き出されることになるのです。...

主が共におられる

五月一日 主が共におられる (二〇一二年五月 ひとしずく七九九)  時々、試練の最中にあると、主は共にいてくださらないように感じることがありませんか? そして、主が共にいてくださるのなら、こんな災難や試練が起こるわけがないし、起こったとしてもすぐに助け出してくださるはずだと、不平と疑いを抱いてしまうことが・・・。 旧約聖書にあるヨセフの話はとても興味深いものです。 ヨセフは兄たちの怒りを買い、奴隷として売られてしまいます。そしてパロの役人で、侍従長のポティファルに買い取られます。(創世記...

ここに愛がある

四月二九日 ここに愛がある (二〇一二年四月 ひとしずく七九八) 罪で満ちて汚れ腐敗している全宇宙の中の闇に覆われたちっぽけな世界「そんなものなど放っておけいずれ人の世はもう終わりにするのだから」と神様に言われても仕方ないしかし、彼はそうは言われなかった神の愛の不思議はそんな闇の世に生まれてこられてちっぽけで利己的な私たちのために命を捧げてくださったことそして、私たちの内に今も生きておられ決して見捨てずに愛し続けておられること永遠に生きておられ全宇宙の創造者であられる神その偉大なる神が小さな者に愛を注がれる...