どんなに暗くても

九月四日 どんなに暗くても (二〇一四年 ひとしずく一四七〇) 神様がおられるならどんな闇も暗くはない闇の中で声をかけられると光が現れるどんなに泥濘(ぬかるみ)にはまってずんずん落ちて行くように思えても手を取り、引き上げることの出来る方がおられるだから希望を失ってはいけない地下の低い底にも降りて行かれた方は天のあらゆる力で満たされている方その方が私たちと共にいて下さる全ての悩みと失望と痛みを知っておられる方が「わたしは決してあなたを離れず、捨てない」 と言っておられる     だからたとえどんなに暗くても...

病に臥している人のために

九月三日 病に臥している人のために(二〇一四年 ひとしずく一四六八) ある病んでいる人のために、イエス様がお語りになられたいことがあるに違いないと思い、主に尋ねて、メッセージを頂きました。他に試練を通過している方にとっても役立てばと思います。お祈りしています。 (イエス様から)...

感謝

九月二日 感謝 (二〇一四年 ひとしずく一五二九) イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 そして、ある村にはいられると、十人の重い皮膚病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。...

絶やすことなく

九月一日 絶やすことなく (二〇一四年 ひとしずく一五三一) 主は、モーセを通してイスラエルの民に神への礼拝のための定めを示されましたが、その中に次のような部分があります。 あなたが祭壇の上にささぐべき物は次のとおりである。すなわち当歳の小羊二頭を毎日絶やすことなくささげなければならない。...

ある枕木のつぶやき

八月三一日 ある枕木のつぶやき(二〇一一年) ミーティングの場所に来る前に、2,3日泊めさせてもらった場所がありました。 それは、広く、枯れた草が覆っている荒野の中に、赤茶けた岩の山を 背景に小さな緑の芝生と木々に囲まれたところにある「山小屋」というロッジでした。そこは、わたしが夢に描いていた場所でした。わたしは自分の住んでいるところが、何か心に安らぎをもたらすような雰囲気をかもし出すことができないかと、思っていましたが、今ついにそうした場所を見つけたように思えるのです。...

ほんとの空、ほんとの人生

八月三十日 ほんとの空、ほんとの人生 (二〇一四年 ひとしずく一五九〇) 東北自動車道の安達太良(あだたら)SAに、安達太良山を展望できる場所があります。そしてそこの案内板には、 「ほんとの空の里」と書かれています。これは高村光太郎の「智恵子抄」から引用した言葉で、智恵子にとっては、故郷の安達太良山の上に広がる空こそが、本当の空だということです。...

土地改良 

八月二九日 土地改良 (二〇一四年夏 ひとしずく一五九五)  体調がおもわしくない日が続いている村のFさんが、耕耘機を手離すということを聞いたSさんは、Fさんに私たちのことを紹介して、私たちがその耕耘機を使えるようにしてくれました。それまでSさんが私たちに使わせてくれていた耕耘機は、油漏れが始まっていたからです。今日は、Fさんのところから頂いた耕耘機で、息子と私で、Oさんの家の前の畑を耕すことにしま した。ところが、...

蛙

八月二八日 蛙 (二〇一一年 ひとしずく81)...

種たちの物語

八月二七日 種たちの物語 (二〇一一年 ひとしずく七二) 一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネ十二章二四節)  最近畑に種を蒔きました。ちょっと種たちのことを想像してみてください。...

新たな力を求めて

八月二六日 新たな力を求めて (二〇一四年夏 ひとしずく一六二〇) 主は時に応じて力を与えてくださいます。 一つの仕事、一つの区切りを終えたら、休むことが大切ですが、休むことには、ただ体を休ませるということ以上の意義があると思います。何かを成し終えた後、主の御許に行くことは、主に感謝し、主を褒め称えること、また、新しい仕事、奉仕の前に、主を認め、全ては主のため、主の力で主の愛に満たされて、ということを主の霊との交わりの内に確認する時であると思います。...