執筆者 Akashi | 7月 19, 2023 | 記事
七月十九日 脚本通りに行かない人生 (二〇一二年七月 ひとしずく八九一) あるサイトに掲載されていた、「テイラー家のテステモニー」を紹介します。 ...
執筆者 Akashi | 7月 18, 2023 | 記事
七月十八日 祈りの友 (二〇一二年七月 ひとしずく八九〇) 昨日、バイブルクラスの後に、お互い祈りのリクエストを出し合い、祈りを必要としている人達や状況のために、皆が心を合わせて、必死になって祈りました。 涙を流して、お祈りする兄弟や姉妹に、祈りに加わっている自分自身が強められ、慰められ励ましを頂きました。 時々、自分の困難な状況のために、自分では、もうこれ以上祈れないと思う心境になる時があります。倦み疲れというのもあるのかもしれませんが、困難な状況の打破のために祈るには、力があまり入らない時があるのです。...
執筆者 Akashi | 7月 17, 2023 | 記事
七月十七日 地上での苦難の後には (二〇一二年七月 ひとしずく八八八) 体を殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。(マタイ十章二八節) イエス様は、かなりはっきりと語られました。この真理の言葉は、弱い者、虐げられた者、 そして朽ちて行く肉体を持っている全ての生き物に希望を与えてくれるものです。 イエス様がこれを、きっぱり言われているのは、その中に、「どうして朽ちる肉体に、しがみつき心配するのか?今に栄光に輝く体が与えられようとしているのに?」とたしなめる思いがあるようにも感じられます。...
執筆者 Akashi | 7月 16, 2023 | 記事
七月十六日 愛は事故を防ぐ (二〇一二年七月 ひとしずく八八七)...
執筆者 Akashi | 7月 15, 2023 | 記事
七月十五日 イエス様の枝 (二〇一二年七月 ひとしずく八八五) (イエス様から:)私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。ぶどうの枝が「私はぶどうの実ではなく、リンゴの実がほしいのです」と、要求するだろうか?ぶどうの実を生らせるべく創られているのに、それに不平を抱き感謝のない枝には、樹液が流れることがなくなる。枝がぶどうを生らすことを 望んでいないのだから。...
執筆者 Akashi | 7月 14, 2023 | 記事
七月十四日 「私は何も知らない」という悟り (二〇一二年七月 ひとしずく八八〇) 山道を朝早く車で登っていく時、真っ黒な動物のお尻が見えまし た。 車が近づくと、茂みの中に入っていきましたが、おそらく小熊で しょう。 私は子供たちと、登山に来たので すが、自分が山のことなどちっとも知らないことにつくづく気づかされました。考えてみれば、こうした深い山の中に熊達がいて当然なので す。私は、怖さとい...
執筆者 Akashi | 7月 13, 2023 | 記事
七月十三日 命の素晴らしさに触れる (二〇一二年七月 ひとしずく八七九) 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。(創世記二章十五節) 園芸や畑造りに夢中になっている人たちを見ていると、花が咲いたとか、実がなったとか、もう少しで収穫できるとか、その喜びがとてもシンプルで、その栽培をとても楽しんでいるのがわかります。私も今、田舎でその喜びと楽しみに与っています。...
執筆者 Akashi | 7月 12, 2023 | 記事
七月十二日 犬のラッキー (二〇一二年七月 ひとしずく八七七) わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43章4節) 時々、誰でも、自分がどうしょうもなく惨めで、何の価値もないように思えることがあるのではないでしょうか?周りの人は皆、輝いて見えるのに、自分ときたら、いつまで経っても同じような試練や問題を抱え、まるで冴えない人生を送っているように感じたり・・・。しかし、そんな時に、慰めと希望を与えてくれる、こんなお話があります。=========...
執筆者 Akashi | 7月 11, 2023 | 記事
七月十一日 「私は忘れてしまったよ」(二〇一二年七月 ひとしずく八三七) 「なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼ら の罪を思い出さないからである。」(ヘブル八章十二節) 私たちの罪は、イエス様を心に受け入れ、悔い改めた時、赦されます。しかし、そうであるのに、私たちは本当に神様の赦しを信じているでしょうか?いつまでも過去の罪、あるいは今も犯し続ける罪に後ろめたさを感じ、主に近づけないでいる人もいるのではないでしょうか? これは、そんな自分の過去の罪に苛まれていたある牧師のお話です。...
執筆者 Akashi | 7月 10, 2023 | 記事
七月十日 真理のために立ち上がる (二〇一二年七月 ひとしずく八七一) (愛は)不義を喜ばないで真理を喜ぶ。(第一コリント十三章六節) 第二次世界大戦後、ドイツの教会の代表者達が集まった会議の中で、ニーメラーという人が、戦時中の教会の罪について告白したそうです。以下は彼の発言です。 (「ボンへッファー紀行」村上伸著からの引用) ...