油断することなく

油断することなく(ひとしずく635)  カエルを熱いお湯の中に入れると、すぐに飛び出ようとします。それは当たり前のことです。ところが、お湯の温度をゆっくり上げていくと、カエルはその温度の変化に気づかず、最後には煮えて死んでしまうのだそうです。...

勝利にのみ込まれた死

(二〇一一年十一月 ひとしずく六一九)  ある人達はこう言います。「イエス様は十字架上で殺され、地上での任務は 失敗に終わってしまった」と。 十字架刑は、罪人としての死を遂げるということですから、確かに十字架の 死は、敗北のように見えます。  しかし、イエス様の生涯から、その十字架の死を除いたら、私たちは主によって救われることも、また天国に行くこともできなくなってしまっ たことでしょう。 そして何よりも、イエス様の苦しみと死は、イエス様と私たちを、愛の絆によって一つに結ばせたのです。私たちがイエス様への敬慕の念を抱...

石を一つづつ

十月三一日 石を一つづつ (ひとしずく六二五) 「ありがとう!」 母は満面の微笑みを浮かべて、私たち家族を見送ってくれました。今回、秋田の実家に数日滞在し、母親の愛用していた、手押し車を直してあげたのが、母にとってはとても嬉しかったようです。...

支配の霊

十月三〇日 支配の霊 デレク・プリンス氏は、「支配の霊」は、悪魔から来ていると言っていました。エペソの手紙にも、「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである」とあります(エペソ六章十二節)。ですから、私たちは、霊のうちで自分達を支配しようとしている悪霊の一つである「支配の霊」に敵対して戦闘中です。...

主のささやきに導かれて

十月二九日 主のささやきに導かれて (ひとしずく一四七三) 昨日、娘のAと 秋田に帰ろうと那須の家を出発しました。そして、以前住んでいた家の近くを通過 していた時、ふと、お隣に住んでいたFさんのことを思い出しました。 ちょうど私たちは車の中で、「愛は心の中にしまっておくのではなくて、それを与えてしまうまでは愛ではない」という、オーディオのメッッセージを聞いていたところでした。...

塚本虎二

十月二八日 塚本虎二 (ひとしずく六二六) 最近、古本屋さんで、塚本虎二氏の「新約聖書福音書」(岩波文庫)を見つけて、読んでいます。彼はわかりやすい福音書を目指して、聖書を口語訳にするために、自分の半生を捧げた人です。(彼の口語訳は日本聖書協会の口語訳聖書とは別のものです)...

心からあふれ出る言葉

十月二七日 心からあふれ出る言葉 (ひとしずく 六二三)   イエス様は口の言葉についてこう言われました。 「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。 (マタイ十五章十一節)   「人を汚して」しまうこと、それは誰しもよくしてしまうことだと思います。実は私も先日、秋田の実家に帰っていた時、近くの公園に向かう車の中で、言うべきでないことを家族に言ってしまい、気まずい状況にしてしまったことがありました。私は何かに夢中になっていたり、忙しい時には、よ...

神の国

十月二六日 神の国 (ひとしずく六二二)  「御国がきますように・・・」これは、イエス様が弟子たちに教えられた祈りの一部です。以前私は「神の国」とは、いつかイエス様が帰ってこられた時に、やってくるものだと思っていました。 しかし、次のいくつかの聖句で述べられているように、もう一つの意味での「神の国」というのがあるのです。 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ 一章十五節) 「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」(マタイ十二章二八節)...