執筆者 Akashi | 9月 6, 2024 | 記事
前のものに向かって わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。 兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。 (ピリピ 3章12-14節)...
執筆者 Akashi | 9月 5, 2024 | 記事
土の状態 できるだけ自然農をと頑張っている娘に、よく注意されることがあるのですが、それは、早くたくさんの実をつけてほしいと思って、肥料(有機肥料)を撒くときです。 また、草を抜いたりすることも注意されます。 良かれと思ってしても、自然の土の中にあるバランスや、良い菌が損なわれる、また保湿している土の構造を壊すという時があるのです。...
執筆者 Akashi | 9月 4, 2024 | 記事
発見-2 主は、私たちを見つけ出してくださる方です。そしてどこに連れて行って下さるかというと、神との交わりの中に、つれて行って下さるのです。真理を探し求め、義に飢え渇く者、神への愛を持っている者は、主にとっては宝、あるいは真珠のような存在で、そのような者を探して歩かれるのです。 天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。 また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。...
執筆者 Akashi | 9月 3, 2024 | 記事
発見!-1 私の村にまだ小学校があったころ、村を囲むふるさとの山を見て、思いました。あの山の向こうには、何があるんだろう?と。小学三、四年生だったと思います。ある日、決意して山の向こう側を見ようと思ったのです。自分にとっては大きな冒険でした。その一番高い所まで上り詰めた後、その反対側の斜面に回りました。そこから見えたものは、自分が上ったのと似たような山がまた向こうにあったことでした。大した発見でもなかったのですが、少なくとも、私は、その山の向こうに何があったかわかったのです。...
執筆者 Akashi | 9月 2, 2024 | 記事
主のいつくしみは、いつまでも...
執筆者 Akashi | 9月 1, 2024 | 記事
主を喜ぶこと 私たちは、今もこれからも、自分たちの力では到底太刀打ちできない事態に直面しています。かつてなく今後もないような患難を迎えようとしています。 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。 (マタイ24章21節) しかし、これらの預言されている患難は、私たちを驚かし、怯えさせるためのものではありません。主は言われます。...
執筆者 Akashi | 8月 31, 2024 | 記事
「わたしは…谷のゆり」(雅歌2章1節) 「わたしは…輝く明けの明星」(黙示録22章16節) 暗い谷だからこそ、白い百合の花が輝きを放つ 夜明け直前の深い闇にあるからこそ、輝く明けの明星が希望を与える 闇が深まる中でこそ、真の光が求められている。偽り、虚像、欺きが横行する中だからこそ、変わらない神の真理が求められる。...
執筆者 Akashi | 8月 29, 2024 | 記事
いつまでも続くもの...
執筆者 Akashi | 8月 28, 2024 | 記事
祈らないことで罪を犯すことのないように: 私たち、クリスチャン、神の子とさらた者達は、このような破壊的な台風に曝されようとしている自国の人達のために、必死になって祈ることが必要であると思います。 イエス様は、嵐を鎮めることのできる方です。その方を自分の神として信じている私たちは、少なくとも、同朋のために、「主よ、お助け下さい。大勢の人達が破滅的な被害に遭遇しようとしています。すぐに、この嵐を鎮めて下さい」と嘆願すべきだと思います。...
執筆者 Akashi | 8月 28, 2024 | 記事
主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。(ローマ13章14節) 昨夜、息子の家に泊めてもらいましたが、疲れてシャワーをしないで横になっていました。起きた時には、自分の汗で濡れたシャツを、駐車場まで行って着替えようか、どうしようかしばらく迷っていました。駐車場まで少し離れているので、おっくだったのです。しかし、ついに着替えてきた時、やはりさっぱりしました。 その時、「新しい人を着なさい」という聖句が、もっと意味をなして理解できたように思えました。...