祈りの友

七月十八日 祈りの友 (二〇一二年七月 ひとしずく八九〇)  昨日、バイブルクラスの後に、お互い祈りのリクエストを出し合い、祈りを必要としている人達や状況のために、皆が心を合わせて、必死になって祈りました。  涙を流して、お祈りする兄弟や姉妹に、祈りに加わっている自分自身が強められ、慰められ励ましを頂きました。 時々、自分の困難な状況のために、自分では、もうこれ以上祈れないと思う心境になる時があります。倦み疲れというのもあるのかもしれませんが、困難な状況の打破のために祈るには、力があまり入らない時があるのです。...

イエス様の枝

七月十五日 イエス様の枝 (二〇一二年七月 ひとしずく八八五)   (イエス様から:)私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。ぶどうの枝が「私はぶどうの実ではなく、リンゴの実がほしいのです」と、要求するだろうか?ぶどうの実を生らせるべく創られているのに、それに不平を抱き感謝のない枝には、樹液が流れることがなくなる。枝がぶどうを生らすことを 望んでいないのだから。...

「私は何も知らない」という悟り

七月十四日 「私は何も知らない」という悟り (二〇一二年七月 ひとしずく八八〇)  山道を朝早く車で登っていく時、真っ黒な動物のお尻が見えまし た。 車が近づくと、茂みの中に入っていきましたが、おそらく小熊で しょう。  私は子供たちと、登山に来たので すが、自分が山のことなどちっとも知らないことにつくづく気づかされました。考えてみれば、こうした深い山の中に熊達がいて当然なので す。私は、怖さとい...

命の素晴らしさに触れる

七月十三日 命の素晴らしさに触れる (二〇一二年七月 ひとしずく八七九)  主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。(創世記二章十五節) 園芸や畑造りに夢中になっている人たちを見ていると、花が咲いたとか、実がなったとか、もう少しで収穫できるとか、その喜びがとてもシンプルで、その栽培をとても楽しんでいるのがわかります。私も今、田舎でその喜びと楽しみに与っています。...