執筆者 Akashi | 8月 24, 2024 | 記事
眠っている時にも ソロモンがよんだ都もうでの歌 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。 (詩篇127篇1-2節) 神は一つの方法によって語られ、また二つの方法によって語られるのだが、人はそれを悟らないのだ。 人々が熟睡するとき、または床にまどろむとき、夢あるいは夜の幻のうちで、...
執筆者 Akashi | 8月 23, 2024 | 記事
神の時 イスラエルの民が、出エジプトを神の定めた時以外に企てても、うまくはいかなかったことでしょう(出エジプト14章参照)。その前も、その後も、同じことをしようにもできなかったでしょう。すべてのことには、時があり、また神が働かれる特別な時があります。 そして、その時には、人の力を超えたことが次から次へと起こります。特に再臨の時は、人手によらないことが、起こります(反キリストも再臨前に、偽のしるしをして人々を惑わすでしょうが)。(ダニエル2章45節参照)...
執筆者 Akashi | 8月 22, 2024 | 記事
死ぬる日は生るる日にまさる(伝道の書7章1節) 私たちの村に何度も、ボランティアのために足を運んでくれた学生だった男の子が、癌で先日亡くなったという知らせを聞きました。息子の尊い友人でした。 良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる。 悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。 死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。 悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。 賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。...
執筆者 Akashi | 8月 21, 2024 | 記事
寄り添う 東北大震災の時から、よく聞く言葉でした。被災した人と共に歩む…ための姿勢…? 何か気高い響きのする言葉ですが、本当に心から「寄り添う」というのは、簡単なことではないことは確かです。被災した人や、何か試練を抱えている人に対して、自分は高い所にいて、低くなってしまった人の所に、何とかして手を伸ばすというようなイメージが思いのどこかにあると、真の意味で寄り添うってできないのではないかと思います。...
執筆者 Akashi | 8月 20, 2024 | 記事
人の計画 vs 神の御旨 人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。 (箴言19章21節) よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。(ヤコブ4章13-15節)...