私たちの望みは主にあり

五月六日 私たちの望みは主にあり (二〇一二年五月 ひとしずく八一〇)  信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ 持たないでこの世を去って行く。(第一テモテ六章六、七節) これは先日聖書を読んでいて、改めて心に響いた言葉です。 一般的に、私たちのこの地上での煩いの大半は、物(お金)を持っていること、持っていないこと、あるいはもっと多くなる...

「あなたの怒るのは良いことであろうか?」(ヨナ書)

五月二日 「あなたの怒るのは良いことであろうか?」(ヨナ書)(二〇一二年五月 ひとしずく八〇四)  ヨナは、ニネベの町が悔い改めなければ、その邪悪さのゆえに滅びてしまうという神様からのメッセージを託された預言者でした。しかし、ヨナは神様に不従順だったので、海で大きな魚に呑み込まれてしまうのでした。そして結局三日三晩、魚のお腹で過ごしたヨナは悔い改め、神に従う決心をして魚に陸に吐き出されることになるのです。...

主が共におられる

五月一日 主が共におられる (二〇一二年五月 ひとしずく七九九)  時々、試練の最中にあると、主は共にいてくださらないように感じることがありませんか? そして、主が共にいてくださるのなら、こんな災難や試練が起こるわけがないし、起こったとしてもすぐに助け出してくださるはずだと、不平と疑いを抱いてしまうことが・・・。 旧約聖書にあるヨセフの話はとても興味深いものです。 ヨセフは兄たちの怒りを買い、奴隷として売られてしまいます。そしてパロの役人で、侍従長のポティファルに買い取られます。(創世記...